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『テラレジア・クロニコ』作中の舞台となる架空の国「テラレジア共和国」の観光ガイドブック、1982年版。テラレジア共和国に関する様々な情報を掲載しています。これを読めばあなたもテラレジア通……!?
好評連載中、『テラレジア・オーダー』はこちら!
テラレジア・オーダー
悠久の時を超え、あのろくでなし二人組が帰って来た!?テラレジア王家の末裔アークと相棒のフェルドの周りでは、今日も現実の歪んだような事件が巻き起こる。
前作『テラレジア・クロニコ』はこちら!
テラレジア・クロニコ
大陸の西端の国、テラレジア共和国。島流しにされたかつての王家の子孫が100年ぶりに帰ってきた!?ろくでもない二人組が現実を変えていく、王政復古アクション。
※一部に本編の展開に関連した内容が掲載されています。重大なネタバレ等はありませんが、本編をお読みになりながらご覧ください。
テラレジア共和国の基本情報
テラレジア・クロニコ(歴史)
太陽通り
串料理
土着の文化
日本との関係
バル「相席屋」
国旗
食文化
テラレジオ・ポスト
キャバレー「ドリーミィ」
トラム
人口の基本情報
通貨
気候
テラレジア清教①歴史
テラレジア清教②開祖
テラレジア清教③清教会
テラレジア清教④信仰
テラレジア共和国の経済
イスラーム文化
大航海時代とラテンアメリカ文化
アール・デコ
アメリカ合衆国との関係
フェデライトとの関係
テラレジア内戦(1940-1945)
社会主義者
災害
服装
テラレジア人とフェデライト人
音楽
テラレジア・クロニコ(記事)
アークとフェルド
太陽通りの一番地
テラレジア国有鉄道
テラレジア国軍
右派と左派、王党派
教育制度
学校生活
テラレジア語とフェデライト語
大学
ドラッグ
お酒
王家の存在
映画
首府
ガリバン印刷
マーケット(バザール)
コーヒー
王城(テラレジア城)
暖炉
バロン大聖堂
テラレジア公共放送
新市街
人口:2千万人強、国土面積:9万㎢程度(北海道より大きいくらい)、最大都市:首府、政治体制:共和制、公用語:テラレジア語、宗教:信仰の自由(最大宗教はテラレジア清教で、国民の9割が信仰する)、文化:テラレジア文化圏
直訳すると「テラレジア年代記」、これは王家の勅命で編纂された王国の年代記です。為政者の立場から書かれたため、基本的に王家を礼賛する内容で、一部には信憑性に疑問があるとされる記述もありますが、王国の歴史を記した貴重な一次資料として国立公文書館に保管されています。その内容は出版社から全巻刊行されていますので、誰でも読むことができますが、建国以来連綿と書かれているのでまともに読むと人生の少なくない時間を費やすことになります。
首府の道路の名前です。南岸地区にある歩行者専用道で、丘を登っていく道の沿道には商店が連なり、庶民の街南岸地区を象徴する通りとして人気です。近くにはマーケットもあり、近所の人々の日常生活の場でもあるし、人気の観光地でもあります。(南岸地区の路地裏は治安が悪い場所もあるので出歩く時はご用心)
テラレジア人はなんでも串に刺して食べます。そうすれば美味しさが増すと信じているようです。鉄板は牛や羊のバルベクオ(バーべーキュー)ですが、魚介やあまーいスイーツだって串に刺します。街を歩けば串料理を持った人にぶつかるし、街角には串専用のごみ箱まであります。どんな街の通りでも、三段重ねのアイスクリームを選ぶみたいに、自分好みの具材を選んで串に刺してくれる屋台をみつけることができます。
クリーム色の壁と褐色の洋瓦を持つ家々、広大な農場……テラレジアの原風景といえば、多くはこのような光景を思い浮かべるでしょう。先史からテラレジア人が暮らすこの地域には土着の文化があります。それらは南フランスやイベリア半島、マグリブ圏など、周辺地域の文化との類似性が指摘されています。
ユーラシア大陸の西の果てにあるテラレジアと、東の果てにある日本。地球の反対側にあるような両国ですが、関係は意外にも深いです。中世の時代よりテラレジア人は「東の果てにある黄金の国ヤパニオ(日本)」を噂していたし、現代では日本の家電を黄金のように思っているでしょう。テラレジアの豊かな農水産物のいくらかは日本に輸入されています。ただし、彼らは今でも日本にサムライとニンジャがいると誤解しています。
住所:首府 太陽通りの二番地 一階
早い、安い、美味い三拍子揃った地元の名店です。一般的なバル同様、午前からランチ営業もしていて、カフェのような雰囲気が楽しめます。夜になれば一転、地元の人々でごった返す庶民の台所に。お酒を飲まない方でも大歓迎。見慣れない観光客には地元の常連さんが話しかけてくることもありますが、気さくで楽しいものです。通りを挟んで向かい側の建物にはかの有名なアーク&フェルドが住んでいます。
左が王国時代の国旗、右が共和政に移行した現在の国旗です。
王国旗にあしらわれていた王珠の紋様はテラレジア王家の象徴であり、かつては王家以外が用いることはかたく禁じられていました。王政廃止に伴って国旗として相応しくないということで平等と繁栄を表す花の意匠に変えられ、現在に至ります。
背景の赤と白はどちらもテラレジアで伝統的に用いられてきた色であり、赤は情熱、太陽、大地(テラレジアの大部分の土壌は鉄分を含み、赤みがかって見えます)を表すとされ、白は高潔、正義を表すとされます。
古くから豊穣の地と謳われたテラレジアは食品が多種多様。肉、野菜、果物、魚介、乳製品、酒、嗜好飲料、何でも食べます。それらを美味しく食べるための調理法もたくさん。内戦中・戦後の食べ物に乏しい時代を知っている人々にとって、お腹いっぱいにごはんが食べられることは何よりの幸福なのです。
大手新聞社、及びその社が発行する新聞の名前です。朝刊と夕刊があり、多くの国民に読まれています。本社が編集する全国面と、各地の分社が編集する地方面からなります。例えば、首府分社は首府地区で発行される地方面の編集を一部担当しています。大手新聞の中では中道右派と言われています。
住所:首府 マルエル通りの七八番地
首府最大の歓楽街、マルエル通りでも大きなキャバレーです。立派な舞台を備え、毎晩華やかなショーが公演されています。この通りにあるキャバレーの中でも歴史ある「老舗」という位置づけで、お酒は少々高額ですが、ハイソな雰囲気が富裕層の間で人気です。
首府をはじめ、テラレジアの大都市ではトラム(ヨーロッパ式の路面電車)が主要な交通手段です。多くの都市で固定料金制を採用しており、観光客にも運賃が分かりやすいのが嬉しいポイント。庶民にとっても乗りやすい価格設定であり、近場の買い物でも気軽に利用されています。国鉄の駅をはじめ、主要な施設やデパートの窓口で回数券が購入できますので、市内を観光する際は最初に買っておくのがオススメ。
圧倒的多数がテラレジア人の単一民族国家。その他に少数のフェデライト人等。人口は2千万人強で、内戦後に増加したのち現在はほぼ横ばい、将来的に微減に転じる可能性が指摘される。最大都市は首府だが、都市圏人口は100万人程度で、概して国土に均等に人口が分布しているのが特徴。車で各地を回れば、街道で結ばれた昔ながらの農村集落群がそこそこ賑わっているのが見られる。
国内で流通する通貨は単に「キャッシュ」と呼ばれることが多いです。タバコの一箱が150くらい、300あればランチが食べられる、タクシーの初乗りは400くらいと、額面だけみれば日本円と近いように感じますが、為替レートで考えると日本円よりも安いです。
注※1982年当時の日本円との比較
テラレジアの国土は一年通じて高温低湿です。夏には気温が40℃を優に超えることがありますが、湿度が低いため日本のそれと比べれば幾分涼しく感じられます。冬には雨が比較的多く降りますが、気温が0℃を下回ることは滅多にありません。一冬に一度、雪が降るか降らないかというもので、数年に一度、積もるほどの雪が降ると、大人も子供も大はしゃぎで雪遊びをします。
テラレジア人の民族宗教で、今なお国民の圧倒的大多数が信仰するテラレジア清教は、国の歴史と切り離すことができません。テラレジア清教はローマ帝国崩壊後にテラレジア王国の誕生と共に開かれました。キリスト教やイスラームの影響を強く受けた一神教です。信仰対象は神と開祖自身が神の言葉を記した聖典、それに唯一の預言者とされるテラレジア王の三つです。清教は王家の保護を受けて全土に広まり、王国の統治の片翼を担ってきました。王政廃止時、清教会は「テラレジア王は唯一の預言者である」という教条を削除しました。これによって清教は「民主化」し、共和制下でも国家宗教としてその座を保つことを許されたのです。
テラレジア清教の開祖とはどんな人物だったのでしょうか。聖典やテラレジア・クロニコには男性であったことが記されていますが、名前は常に「御方」とか「開祖」と記されていて、本名は不明です。初代テラレジア国王と親交が深かったことが知られており、主従というよりは盟友のようなものだったようです。開祖の死後、その身体は聖遺物として王都のチェフル大聖堂に葬られました。
現在の清教は男性の司祭たちによる清教会という中心組織によって運営され、そのトップは大司教です。女性の聖職者たちは尼として清教会に付随する組織の中にありますが、清教会全体の意思決定にはほとんど関わりません。本拠地は聖都バロン市のバロン大聖堂にあり、ここから全国の教会に司祭を配属させる形で組織が運営されています。同様に、尼は全国の尼寺に配属されます。聖職者は不純な行為を禁じられ、アルコール類やタバコなどの嗜好品の使用を禁じる戒律の中に置かれます。
テラレジア人の信仰は日本人のそれと似ているかもしれません。日本人にとって神道や仏教の信仰が文化としてごく自然に生活の中に組み込まれているように、テラレジア人にとって清教の信仰は宗教というより慣習みたいなものです。熱心に聖典を読んだり教会に通ったりする人は少ないですが、その一方で信仰に基づいた価値観は確かに国民の血に刻まれているようです。
経済規模は中堅の新興国程度。周辺国への依存度は高く、主な外貨獲得手段は農産物、水産物の輸出。輸入品目は機械、化学、エネルギー、自動車など。機械、自動車についてはアメリカ合衆国からの中古品市場が盛ん。このところ、経済成長率、物価は安定、失業率は横ばいか低下傾向。
テラレジアは北アフリカ経由で度々イスラームの侵入を受けました。王はいずれもこれを退けますが、その過程でイスラーム文化が多く流入、定着しました。中でも有名なのはオスマン帝国から伝播したトルココーヒーで、エスプレッソと並んで好まれています。
大陸の西端に位置するテラレジアはいち早くアメリカ大陸に進出し、一大帝国を築き上げました。いずれスペイン帝国との覇権争いでその座を譲ることになりますが、ラテンアメリカからたくさんの「お土産」を持ち帰りました。トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、カカオなどの多様な野菜類が代表的です。加えて近年ではラテンアメリカ発の音楽が好まれています。
アール・デコは1920年代~1930年代にかけ、フランスやアメリカを中心として世界中で流行した建築・デザイン様式で、直線・円弧を多用した幾何学的な装飾や流線形の造形が特徴です。同じ時代に大きな経済発展を遂げたテラレジアはこの様式を多く取り入れました。また内戦後の復興期にあってアメリカから安価で仕入れた「型落ち品」の多くがこの様式であったため、テラレジアはアール・デコで溢れています。
アメリカ合衆国はテラレジアの貿易相手国第一位です。あらゆる工業製品を輸入し、農産物を輸出しています。それだけに留まらず、世界の多くの国と同様、アメリカ発の娯楽文化が大量に流入しています。それを「文化侵略」と呼ぶ者もいますが、多くの国民は気にせず、ハリウッドの映画を見て、ロックを聴き、ジーンズを履いています。
フェデライト共和国はテラレジアの隣国であり、文化は類似、言語は殆ど共通しています。両国は幾度となく戦争を繰り返し、19世紀末にテラレジアが最後の戦争に敗北した時、王政は打倒されました。国民はフェデライトをライバル視しますが、経済発展が遅れたテラレジアに対し、フェデライトはOECD入りした先進国、現代ではその差は歴然としています。そんな両国が今でも毎年大戦争を繰り広げるのは、サッカーの国際試合です。
第二次世界大戦においてテラレジアは中立の立場を保ちましたが、同じ時代、国内はナチズムとの戦いを繰り広げていました。俗に「先の戦い」と呼ばれる、テラレジア内戦(1940-1945)です。ナチス・ドイツやスペインのフランコ独裁政権の支援を受け、独裁主義を掲げるテラレジア統一党に対し、共和派は連合国に支援を要請、内戦状態に突入しました。最終的にナチズムは掃討されますが、戦争の爪痕は、各所に残っています。
内戦の終結後、テラレジアは自由主義陣営と価値観を共有していましたが、国内には都市部を中心に急進派勢力が存在しました。キューバ革命を受けて1950年代から1960年代にかけて社会主義運動が隆盛を極めましたが、アメリカやNATOの干渉を警戒した政府によって強制排除されました。今でも大学や労働組合では社会主義者による会合を見ることができますが、いささか「時代遅れな人々」と冷ややかな目を浴びています。
テラレジアの国土を襲う災害で最も恐れられているのは熱波とそれに伴う干ばつです。歴史上幾度も干ばつに伴う飢饉に見舞われてきました。熱波の被害は現代でも脅威で、酷い時には熱中症で命を落とす人が後を絶えません。
一般に、テラレジア人は服を多く持たないと言われています。夏服と冬服の2シーズンしかなく、同じような服を着回す傾向があります。襟のあるシャツとないシャツ、長いズボンと短いズボン、女性ならスカート。これだけあれば十分なのです。一方で、近年は若者を中心にアメリカやフランスの流行を取り入れたファッションが持て囃されていますが、保守的な中高年からは「不良」呼ばわりされてしまいます。
テラレジア人とフェデライト人は遺伝上近しい人種だと言われています。遺伝学的にはコーカソイド(白人)ですが、小麦色の肌の人が多いです。一説によれば北アフリカ系人種やラテンアメリカの先住民との混血の可能性が指摘されています。この肌の色により、歴史的にヨーロッパ人から白人であるとか非白人であるとか、同盟や対立の材料としてその時々で都合よく扱われて経緯があります。そのためもあってか、両国の国民は自分たちが「ヨーロッパ人である」という意識を持っていません。
文化全般がそうであるように、テラレジアの音楽も多文化的です。伝統的な弦楽器や打楽器は古くから用いられていますが、イベリア半島経由で流入したバロックの系譜や北アフリカ経由のイスラム音階などが見られます。20世紀に入ってからはアメリカのブラックミュージックを多分に受け入れ、現代ではロックも人気です。ここ最近で流行っているのは世界的に流行したディスコミュージックでしょう。テラレジア人は陽気です。
テラレジオ・ポスト朝刊の首府地区版で掲載されている連載記事の題名です。王家の末裔アーク・ウエスト・〝テラレジア〟とその相棒フェルド・スターの活躍を追ったとある記者による記事です。内容は実際の取材に基づいた内容なのですが、いかんせん「現実味がない」と言われ、元々連載小説を載せていたコーナーに代わって連載が始まったこともあり、事実をもとにした空想小説だと思われている節があります。出演する二人組が全国的に知られるようになったことから本記事も人気が高まり、現在では全国版に出張連載されて全国に読者がいます。
良くも悪くも、テラレジアで今最も勢いがある二人組かもしれません。アーク・ウエスト・〝テラレジア〟は王政廃止時に離島へ流刑になった王家の直系の子孫だそうです。フェルド・スターはその相棒として腕っぷしが強いことで知られています。二人は現代のテラレジアに王政復古を掲げ、首府の片隅から活動を続けていて、その活躍はテラレジオ・ポストの連載記事『テラレジア・クロニコ』で読むことができます。法律上はグレーでかなり荒っぽい二人のやり口はとにかく賛否両論ですが、力強い性格と甘いますくで若者を中心に人気なんだそう。ですが、彼らの言葉に従って王政復古をしようという動きは、今のところ見られません。
首府の南岸地区、太陽通りの入口にある建物です。三階建てのアパートメントで一階はガリバン氏による昔ながらの活版印刷が営まれる「ガリバン印刷」、二階は大手新聞社テラレジオ・ポスト社の分社、三階にはあの有名な二人組、アークとフェルドが住んでいます。有名人だからといって自宅に押し掛けるのはお勧めしません。あなたが若い女性なら歓迎してくれる可能性がありますが、そうでなければ追い返されるでしょう。どうしても会ってみたいなら、二階のテラレジオ・ポスト分社に行ってそこの社員に相談してみると、取り次いでくださる可能性があります。ですがここだけの話、一階のガリバン印刷で二人がアルバイトをしている時があるそうです。
現在、テラレジア国内の一般的な旅客鉄道を営業しているのはテラレジア国有鉄道です。旅をするなら利用しないことはまずないでしょう。列車の遅延は日常茶飯事、駅員の窓口対応は不愛想だと不評の嵐ですが、のんびりしたこの国でかっちり仕事をしている証拠です。
陸海空軍からなる組織です。王国時代は隣国フェデライトが専らの敵でしたが、敗戦と王政廃止の後は自国防衛の色を強めました。1940年代の内戦を経て、現代は社会主義国との戦いに備えた西側の装備(主にアメリカ製)を採用しています。用兵思想は専守防衛、国境付近の山岳地帯に特化した兵装が見られます。また、国土の過半が大西洋に面していることもあって、海軍力も充実しています。過去の歴史を踏まえ、軍内には反ファシズムの思想が強いと言われています。
テラレジアにおける左派とは社会主義的な思想を持つ人々のことですが、右派は国粋主義的な思想を持つ人々で、反フェデライトの傾向があります。これは王政廃止後に主流になった思想で、王政復古を望む王党派とは全く異なるものです。王党派は内戦前までにほとんど自然消滅しました。なお、過去の内戦の反省から、反ファシズムは右派左派問わず共通の思想になっています。
初等教育が6年、中等教育が6年。ただし義務教育は中等教育学校の最初の3年間までなので、残りの3年は通わずに学校を去っていく生徒もいます。一般に、小学校は私立が公立に比べ偏差値が高く、中等教育学校は公立が私立に比べ偏差値が高くなっています。服装は自由ですが、一部の公立学校では制服を採用しているところもあります。中等教育における共学と男子校・女子校の割合は半々くらい。
テラレジアの学校生活を覗いてみましょう。月曜日から土曜日までの週6日制で、朝8時台に一限が始まり、二時間の昼休みを挟んで18時頃まで授業があります。しかし季節によっては午後の授業がないこともあります。これは子供たちが実家の農作業を手伝っていた時代の名残です。基本的に給食はない一方、学内に食堂が設置されていることがあります。授業は基本の五教科(国語、数学、理科、社会、英語)に加え体育、音楽、美術など。第二外国語はフェデライト語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などから選択。その他に男女で分かれる技術家庭科、近年では地域の文化を取り入れた実習教育も盛ん。
テラレジアの公用語であるテラレジア語とフェデライトの公用語であるフェデライト語は同じ語族に属し、文法、発音、綴りにおいて方言くらいの違いしかありませんから、テラレジア人とフェデライト人は簡単に会話することができます。だとすると、学校の第二外国語はフェデライト語を選択すれば簡単なのでは?と思うかもしれませんが、これは落とし穴。言語を学ぶのが簡単な分、フェデライト語の授業は国語と同様に難解な文章の読解をさせられますのでご注意を。(※作中でテラレジア語として書かれているのはエスペラントです。テラレジア語=エスペラントというわけではありませんし、登場人物は日本語でしか通じないギャグをしょっちゅう口にしているのであまり深く考えないこと。)
テラレジアの大学はそれほど多くありません。そもそも大学の進学率が低く、女子や田舎出身だと滅多に大学まで進学する人はいません。最高学府はかつての王立大学にあたるテラレジア中央大学。その他にいくつかの国立大学と私立大学があります。庶民に言わせれば、「高い学費を払って四年間遊んで暮らし、社会主義者になって帰ってくる場所」が大学なのです。
貧困層を中心に蔓延するドラッグは近年社会問題になっています。麻薬、覚醒剤、コカイン、ヘロイン等々、あらゆるドラッグは法律によって所持・使用・販売が禁止されていますが、若者を中心にその被害は後を絶えません。南米ルートでの密輸が指摘されています。怪しい人が近付いてきたら密売人だと思って、絶対に近付かないようにしましょう。
アルコールに関して、テラレジア人が最も好むのは国内でも多く生産されるワインでしょう。また、国内で栽培が盛んなたくさんのフルーツを使ったカクテル類や、ビールなどもバルの食事に合います。他にもメキシコのメスカル(リュウゼツランのお酒)、アンデスのチチャ(トウモロコシのお酒)なども輸入されています。近所のバルに足を運べば、昼間からボトルを空けるへべれけの姿をみることができます。
既に王政の廃止から100年経過していますが、現代のテラレジア人にとって王家とはどのような存在なのでしょうか。その昔は王家を悪玉とする論が吹聴されていたこともありますが、現在はそのような論も影を潜め、王家に対する反感はほとんどありません。テラレジアを訪れてみれば、史跡、文化財、慣習など、否が応でもかつての王家の存在を感じ取ることになります。こうした社会の中で生まれ育った国民には、今でも、心のどこかに「自分たちは王の下の民である」という意識があるのかもしれません。それだから、現代に舞い戻った王家の末裔アークに多かれ少なかれ注目してしまうのかも。
そこそこの規模の街なら必ずといっていいほど映画館があります。地元の小さな映画館で、その時々で様々な映画を上映しています。人気があるのはなんといってもハリウッドとイタリア映画。人気があるので、芸能界では映画の吹替も盛んに行われています。
首府は王国時代からの首都です。かつてのテラレジア王はロンガ川が合流する地点にあった岩山に王城を建設することを決めました。難攻不落の要塞となった城のお膝元には都が栄えました。近代に入ると議会政治の中枢が置かれ、共和制移行後もその機能は引き継がれました。20世紀に入って首府の人口は急増、市街地は拡大して、川の北岸の丘陵にも宅地が拓かれました。現在の太陽通りの辺りです。
住所:首府 太陽通りの一番地 一階
店主のガリバン氏によって営まれる昔ながらの活版印刷所です。オフセット印刷の普及により活版印刷はテラレジアでも稀な存在になりましたが、最近では印刷物の配達、チラシの投函まで一括で引き受けてくれるサービスも導入し、何よりアルバイトの若い男性が気さくで人気のようです。
市街では広場に屋台が並んだ昔ながらのマーケット(バザール)で買い物を楽しむことができます。アメリカ式のスーパーマーケットはテラレジアでも普及しつつありますが、今でも庶民はこうしたマーケットで食材・日用品を買うことが多いようです。何といっても新鮮な食材や思わぬ掘り出し物に出会えるのがいいところ。広場で開かれるマーケットは行政による管理が行き届いていますが、それ以外の場所で細々と出店している屋台はボッタクリ価格のモグリである可能性があるので注意。
テラレジアでコーヒーといえばエスプレッソかトルココーヒーのいずれかが定番です。エスプレッソは粉末状のコーヒーを高圧で抽出したもの、トルココーヒーはイブリックという専用の鍋を熱した砂で温める特有のコーヒーです。カフェ、レストラン、バル、いずれの店でも必ず提供される人気の飲み物で、甘いお菓子や軽食類と共に楽しみます。また、カフェラテやカプチーノは子供にも人気の一杯です。
住所:首府 王城地区
営業時間:10:00~16:00(月曜定休)
王城は首府の中央にある丘の上に聳える城郭です。代々王家の居城として使われてきましたが、現存の王城は近代に入ってから建てられた、実戦向けというより示威的な意味合いの強いものです。建築土木技術の粋を集めて作られた荘厳な塔は首府のどこからでも目にすることができます。王政廃止に伴って共和政府が管理してきましたが、現在は史跡として一般公開されています。そのスケールに圧倒される建築群のほか、王冠、王笏をはじめとする王家の栄光を忍ばせる品々が展示されています。麓のトラム駅から丘を登るシャトルバスを使うのが便利。もちろん、沿道の商店や飲食店を楽しみながら登るのもオススメ。
テラレジアの都市部では19世紀後半~20世紀に建てられた築50年以上の建物は当たり前に存在し、こうした住宅には必ずと言っていいほど暖炉がついています。かつては暖を取るためや料理に暖炉が使われてきましたが、現代ではこうした昔ながらの暖炉に火を入れることは煙と臭いが近所迷惑になるので、普通の家庭では専ら収納に使われています。
住所:バロン県バロン市 大聖堂地区
バロン県の県都、バロン市の中心部にある大聖堂です。一つの巨大な岩山をまるごと大聖堂にしたもので、テラレジア清教の聖地でもあります。「バロン大聖堂」といえば、狭義には岩山の頂上にある大聖堂及び尼寺のみを称し、広義には岩山を登る参道の市街も含めて称します。参道の市街には宿屋、飲食店、土産物店、各種行政サービスが揃っていて、観光は泊りがけで行うのがオススメ。
テラレジア国内の放送局です。国営放送のラジオ局を前身としています。内戦時に統一党の迫害を避けるために共和政府と袂を分かち、公共放送として独立、中立的な報道を行ったのが誕生のきっかけです。現在は国内の中心的な放送局として開通エリアの拡大にも力を入れています。
首府の旧市街より西部にある新興開発地区の通称です。過密を極める旧市街に対して、郊外に近代的なオフィスビルの立ち並ぶ地区を作るという計画が決定されたのが1970年代の初頭、それから現在でも開発が進む、国内で最先端の地区ともいえる場所でしょう。新市街に立つ高層ビル「チュロ・グレズノ」はこの国で最も高いビルです。