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EX4-2

我ながら大それたところまで来てしまった。

子供の頃に戻って、まだガキンチョだった自分に「お前もいつかは壮大な豪華客船に乗るんだ」と言ったって、馬鹿げた夢想だとハナっから信じないだろう。

アークと一緒に居ると、いつも大それたところまで来る。王城、大聖堂、テレビ局、セレブのリゾートときて……お次はこれだ。こうも繰り返すと感覚が麻痺してくるくらいだ。

豪華客船って、これっぽっちもイカした部分はないと思う。

まず、形がいけない。船の上にホテルをそのまま乗っけて浮かべたような寸胴。太っちょにもマシな太り方としょうもない太り方があるが、後者に似ている。その上とにかくトロい。実際の速度というより、見た目が。やはり船というのは、ヨットみたいなもののことをいうのだ。風を受けて、力任せに帆を曳く。荒波をかき分けてグイグイ進む。乗組員は一人。これが本当の船だ。

そんなことよりも、何より豪華客船の気に食わないのは、カネのにおいに塗れた場所だってことだ。船内の施設、客の服装や持ち物、手摺の装飾とか壁の模様、案内看板のセリフ体のちょびっと出張ったところまでがいかにもブルジョワジーって佇まいで嫌気が差す。決して負け惜しみを言っているのではなく、例え外野にはそう受け取られたとしても、自分にとっては、慣れない土地の水が肌に合わない、そういうのと同じ感覚なのだ。

確かに、社会的地位がある方が望ましい。イモっぽい女と着こなしの優れたレディーが並んで立っていたら、誰だって後の女を選ぶ。それは見た目が優れているだけではなくて、地位のある人間はそれ相応の立ち振る舞い方を身につけているからだ。考えが浅くて無遠慮なのはよろしくない。

ただ、そうは言っても、心のどこかでは「小さくてもいい、こじんまりとまとまっていたい」と思っているのは誰だって同じはずだ。果てしなく高い地位を追い求め、カネに塗れて優雅に暮らすのなんて羨ましくもない、どこか静かな田舎――例えば南部の方とか、森のそばの小さな小屋で誰にも知られずこっそり暮らしたい……。そういう夢はあって然るべきだ。ここにいる連中はそれが分からない。

自分の知る限り、おそらく、そういうささやかな暮らしに一番近いことをしていたのはアークだろう。王家が流された島の本当にすみっこで、遥かな大西洋を望みながら自分の食べる分だけを手に入れて暮らす。詳しくは本人もあまり話したがらなくて、訊くといつも「つまらん生活だった」と言うが、一か月くらいならそれも悪くないと思う。一年、二年、十年ともなると……どうかな。

そんなことを思って、フェルドははたと我に返る。自分はこんな品評をしたくて豪華客船「勝鬨」号の廊下を歩いているのではない。もとより思い続けていることは、こんな船なんか用を済ませたらさっさと下りたい、それだけである。

こんなのは一夜きりのロマンスでも何でもない、言うなれば虎穴に入り込んでいるようなものだ、それもとびきり深く。ここは敵の巣の中であって、敵はどこに潜み、何を仕掛けてくるか知れない。そういう殺伐とした場所だ。

それを承知で入ったカップル二組は、まさしく自分たちだが。

やはりどちらかが女装してでも二人だけで乗るべきだった。アークは単純なヤツだから、じゃんけんの通算戦績はややこっちが上だ。そうすればよかった。カノンを連れて来たのはよくなかった。向こうがアイツにも目をつけていることは明らかで、置いて行くのもそれはそれでリスクのある行為だ。だけどさっさと首府に帰してしまえばそれ以上は追われなかっただろうし、何よりアークとフェルドが挑戦を受けて立つ態度を見せれば、向こうにとって彼女に用はなくなる。

よしんば、カノンは二人の「身内」だとしても、エリセアを連れ出したのはマトモな考えじゃない。

エリセアは強い女だ。悪事は見過ごさないだろうし、ちょっとやそっとで折れたりしない芯がある。アークがアイツを選んだのは知り合いの女の中での消去法からではない。エリセアとしても、バロン大聖堂の一件で二人に恩があると捉えることもできる(こっちはそんな風に思ってないがね)から、断ることもない。結論、彼女は最適任である。それは理屈で分かっちゃいるが、アークがそれを自分から提案するとは。自分の女(事実上)をみすみす危険に巻き込むようなことを。アイツはこの船をロマンスの舞台だとか思ってるんじゃなかろうか。

今さらこんなことを考えたって意味がない。フェルドは目の前の状況に頭を揺り戻そうと試みる。

下層デッキ、この扉の先にあるのは船倉だ。ここで調べたいことがある。

船倉の内部は思っていたよりずっと広く、荷物はずっと少ない。何もかもが普通サイズよりちょっぴり小さく作られている船の中にしては、大広間と同じくらいの面積があって天井も高い。港にある倉庫にも似ている。積み荷は車両を使って運び入れるようで、停泊している時に船体下部がぽっかり口を開けているような写真を見たことある。ただし、今宵の航海の荷物は少ない。ワンナイトクルーズだから積み込むべきものがないのだ。がらんどうの中に少しばかりの車が止めてあって、これだと地下駐車場のように見える。

――本当にあるとしたら、真っ先に思いつくのはここなのだが。

積み荷をすべてこじ開け、ひっくり返している時間も手間も惜しい。そうまでしなくとも、火のない所に煙は立たぬと言うから、後ろめたいものを運んでいる時は小細工を仕込んだような不自然さがあるはずなのだ。問題はそれを見つけられるかというわけで。

もしくは、それすらやる必要は無い。なぜなら今夜は犯人が向こうからやってきてくれる保証があるのだから――。

「何か、お探し?」

少々かすれたような女の声、つい昨日も聞いた声。その主は荷物の隙間からフェルドの前に姿を現した。

「こんなとこに来るんでも制服なのな。」

フェルドは気の抜けた声で返す。反面、身体は次の行動に備え奮い立つ。

「警察官はこれが正装なのよ。」

女は自分の肩章を撫でた。

ジーナ・アルボイドはクリタ県警ペルロ署の署長である。女性警察官でありながら敏腕を買われて異例の出世ということで、その界隈では有名であった。商業と観光業で盛えるペルロ海岸で、必然的に起こり得る法を逸した種々の行為を取り締まる、精鋭警察官らをまとめる存在である。そして、アークとフェルドの宿敵を自ら名乗り出た存在。

そんな街を守る存在であるはずの警察署長は悪の首魁であった。彼女はクリタ県を根城とする一大マフィア「バルバリアの海賊」の首領ロブ・ロンダーズと密通しており、彼らの犯罪行為を意図的に見逃していた。彼らが行う最大の悪事は、麻薬の流通であった。

「残念だけどねえ、アンタが探してるものはここにはないのよ。」

ジーナはゆっくりとした、しかし隙の無い足取りでフェルドに近付いてゆく。決して狭くないはずの空間が一回り縮んだように思われた。

「どうだろうな。それを信じるのは全部開けて確かめてからでも遅くない……が、在処はてめえに聞いた方が手っ取り早いか。」

「おほほ、」ジーナがぎらぎらとした目を向ける。「あの記者ちゃんに止められて少しは慎重になったかと思ったけど、バカなガキは死んでも治らないかしら。」

「こんな大層な船は初めてなもんで、お誘いに乗ってやったのさ。」

「そう、それは良かったねえ。なら今夜は呑気に楽しんでいればよかったのに。」

「こっちがメインイベントなんだわ――悪党とつるむクソみたいな警察官に落とし前をつけさせるってのがさ。」

「あらま。実際、私が何の悪事を働いたってのかね。」

「それ本気で言ってんのか?」

「何か?」

その台詞は演技じゃない、誰の目にも明らかだった。

ペルロ海岸の古くからの地元民たちの間で蔓延する麻薬。依存性が強く、一度陥れば破滅までの道のりはとても短い。リゾートの開発を進める「バルバリアの海賊」はその妨げになる地元民を卑劣な手段で排除していた。その惨状を広く訴えようとしていた医者は行方知れずになった。この街でいくらか起こる不可解な失踪事件、噂によれば、彼らの身柄は遠く大西洋を渡って南米の『業者』と取引されているという。この件に関して、ジーナ配下の地元警察はもちろんだんまりを決め込んでいる。

こうまでしてきて、芥程の罪悪感も無い。彼女自身は「愛するロブとのため」だのと抜かしている。フェルドが抱く感情は怒りというよりもむしろ、得体の知れない存在に対する不快感だった。こんなものを野放しにしていいはずがない。

フェルドの意識は常に戦闘への備えを怠らない。ジーナ・アルボイド、こいつは強い。はじめにやり合った時は暗闇で不覚を取られたとはいえ、彼が喧嘩において倒されること――それも女に、これは全く初めての経験だった。

この女は自分が船倉に来ることを見越していたのか?だとすれば、この場にも何か細工を仕掛けているのか?厄介なのは麻薬だ。常習による耐性がついた相手に対し、こちらはわずかな量でも幻覚に囚われる。これは向こうが現実を乗っ取ろうとするためでもあった。

「しかし、フェルド・スター、アンタに悪がどうこうだのとがなり立てられるのもおかしなものよねえ。」

「何が言いたい?」

「警察ってねえ、捜査資料を全国で共有する体制があるのよ。つまり、昔の事件についていつでも資料を集められるのよ。」

なるほどな、フェルドは思った。警察なら簡単なはずだ、彼の過去を知ることも。

ジーナは彼の周りをとぼとぼと歩いて回った。つまらない法廷ドラマの尋問シーンみたいだ。

「フェルド・スター。今から十年くらい前に逮捕されて懲役十年の実刑。当時十六歳で未成年のガキにしては随分な判決ね。……けど、それもそのはず、『やっちゃった』んだもんねえ。一人ならず二人までも。しかもその相手がなんと……ねえ。一体何があったんだい?」

「ちょこざいな。くるならさっさと来いよ。おしゃべりするだけ時間の無駄だ。」

「私はね、この仕事やって長いんだよ。アンタがブタ箱に入ってる間も、その前のクソガキだった頃から制服来て街に立ってたんだ。犯罪者の顔もうんざりするほど見てきたよ。分かる?うんざりするほど、ね!私は裁判官じゃないからそいつらの刑罰を決めるまではやれないけど、でも私に言わせりゃあね、アンタら犯罪者なんて生きてる価値ないよ!」

「てめえがそれを言い切るの、本当に清々しいくらいのクズだよ。こっちも思う存分殴れる。」

「人殺しに言われても嬉しくないわねえ。」

「褒めてねえよ。てめえ、さっきからちょこちょこ動き回って、マジにやる気あるのか?」

返事はなかった。ジーナは背中を向けて立ち止まっている。

おかしい。最初に会った時ほどの殺気がない。見て取れる様子からは戦意がないと言わざるを得ない。

ジーナはゆっくりと振り返って問いかけた。

「不思議なものよねえ、なんでアンタ、彼と一緒にいるの?」

何を言い出すかと思えば。

「だってそうだろう?『ろくでなし』ってところはピッタリ同じだけど、それ以外の部分は全然じゃないの。これまでの人生だって接点はただの一つもなく、いま目指しているものだって違うじゃないか。アンタは王様にはなれないだろう?彼を王様にしたところでアンタが得られるものって何?金?地位?ハーレム?」

「さあな。」フェルドは首を振った。「だが、テラレジア王家にハーレムはないらしいぞ。」

「アンタみたいな生きる価値のない犯罪者が、大それた夢見てる王様気取りや、ちっこい記者ちゃんや、尼のお嬢ちゃんたちと一緒に居られる道理って何なのかしらねえ。」

「確かにな。」ついに肩の力が抜けた。「そこんところ、俺もよく分からねえんだ。」

「――てめえは言い逃れようもないクズだが、言ってることは全くの見当違いってワケでもねえ。どう言い訳しようが、やっぱり、人は一度道を間違えたら終わりだよ。法律とか裁判とかいうのは、あくまで社会の仕組みとしての償いだ。本質的には、犯した間違いが消えてなくなることはない。……今でもたまに夢に出るんだ。なんとなく、楽しいことがあったような記憶と、『あの夜』のことが半分半分。多分これから先も一生こんな感じだと思う。」

なんでぶっちゃけた話をこんな相手にしているんだか。後になってから恥ずかしくさえ思えてきた。やはりこの女はここで倒さねば。

「分かったわ、なんとなくはね。」

分かってもらったところで、ちっとも嬉しくない。

「つまりは愛なのね。」

「愛だあ?」

「私はね、ロブを心から愛しているのよ。彼からの愛と、私の愛と、それさえあれば形あるものは何も要らないのよ、本当はね。アンタもそういうことじゃない?」

フェルドは唖然とした。全っ然分からない。

「なんで中年の加齢臭くさい欲望と一緒にされなきゃならんワケ?」

「このクソガキゃ、言いたい放題言いやがって……絶対叩き潰してやるわ。まあいい、とにかく私が見るに、アンタは今、自分のほしいものを全部持っている気がするわ。つまり、彼や、あの小娘たちと一緒に居られるってことそのものを、ね。違う?」

癪に障る……が、やっぱり全くの見当違いでもない。

アークはとにかく無鉄砲だ。ときどき突拍子もないことをしでかして、話を聞けば本当に深く考えない勢い任せだったりする。カノンも実は似たようなところがあって(だからこそ二人について来られているわけでもある)、エリセアはご存知の強情っ張りだ。三人とも大差ないじゃんか。王政復古のための戦いを始めて以来、立ちはだかる敵はことごとく強大だ。こんなやり方を続けていたら彼らもいつか、道を間違えかねない。そういう危うさがある。他の誰でもない、俺だから分かるんだ。

ひたすらに進む海の上で、少しだけ軌道修正する。右へ、左へ、少しだけ舵を切る、正しい航路で進めるように、良い風を受けて帆を広げられるように。そういうことのために、俺はアイツらと一緒に居ることが許されていると思う。

「なあ、署長よお。」

「何かしら。」

「いい加減おしゃべりは飽きたんだ。俺はテラレジア一の喧嘩屋だ。ウリを掛けた相手にはキッチリお返しする。喧嘩なら、俺が全部引き受けてやる。分かったらさっさと来ねえか。」

「おほほ、もちろんそのつもりよ。そのためには最高の『舞台』が必要でしょう?」