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あとがき

「アメリカ」という時代を生きる

雨宿拾遺


アメリカ合衆国――いつの時も僕たちを惹きつけてやまない国。輝かしい栄光は同時に巨大な影をも落とし、勇ましくも危険な大帝国は果てしない二面性を持った魅力に溢れています。

『鐵軌の帝國』はそんな十九世紀末のアメリカ合衆国を舞台にした歴史学的・文化学的な作品です。歴史小説かと思えば、ファンタジー要素が深く関わってくる本作をなぜ執筆しようと思ったのか。それは本作のテーマと深く関わっており、それを言い表すならば作品のキャッチコピーでもある「クラシカル・アメリカン・ファンタジー」の一言に尽きるでしょう。


「クラシカル・アメリカン・ファンタジー」、訳すなら「十九世紀末の」「アメリカ合衆国を舞台にした」「空想作品」ということでしょう。しかしこのコピーはそれ以上の意味合いをも内包したものと言えます。

そもそも、創作の世界における「アメリカ西部開拓時代」は歴史モノの鉄板中の鉄板で、多くの作品が西部開拓時代をモチーフに作られてきました。本作もそのような「ありふれた」作品の一つと見ることができるでしょう(厳密には西部開拓時代ではないと考えていますが、理由は後述)。過去にはこの時代を描いた作品群が「西部劇」という一大ジャンルを築き上げ、大変な隆盛を極めました。過酷な開拓地に生きる男の生き様を描いた勇ましい映画の数々――しかし現代では西部劇というジャンルは殆ど作られなくなってしまいました。理由は様々ありますが、主にはその世界観が持つ切っても切り離せない価値観によるものです。

西部の開拓とは、すなわちアメリカ先住民の征服の歴史でありました。彼らの住む場所を奪い、虐げ、時に虐殺をも行われてきたその歴史を「開拓」という美しいイメージを持って明るく描くことは凡そ認められなくなってきたのです。それに限らず、当時のアメリカ社会は人種差別の上に成り立ち、また男性として生まれるか女性として生まれるかで人生も随分変わってくるものでした。もはや「西部開拓」を光の神話として描くことはできないのです。

ところが、西部劇が認められなくなった現代においてなお、それらの作品が描いてきた価値観が完全に廃れたわけではないと考えています。戦いで独立を勝ち取り、開拓によって国土を築き上げたという「建国神話」を持つアメリカ人のアイデンティティには今でもそれを是とする精神が通っている、そのように思うんですね。それって西部劇が描いてきた価値観そのものです。例えば今日のハリウッド映画を見たって「ヒーローがいて」「悪者をやっつけて」「ヒロインといい感じになってハッピーエンド」そういう西部劇以来のお決まりは崩れていないでしょう。確かにガンマンとカウボーイの世界観は古臭くなった、けれどアメリカ人の精神は今も受け継がれている。だったらその精神とやらを『古臭く』描き直してやろう――それが『鐵軌の帝國』の原点です。


ここから先は僕の独自のアメリカ史解釈に基づくお話ですからご容赦いただきたいのですが、本作はアメリカ史を大きく二つの時代に分け、作品の舞台をその中間、つまりは時代の転換点に置きました。

一つはピルグリム・ファーザーズの入植からはじまる「開拓の時代」。何もなかった東岸の土を耕すことから始まったアメリカの歴史は、幾度かの戦争を経て十三の植民地の独立に繋がります。そこからアメリカ合衆国は領土を西に拡げながら、フロンティアを西へ西へと押し進めていきます。西部開拓は一八五〇年頃から始まります。一八九〇年にフロンティアの消滅が宣言されるまでにアメリカ合衆国は国内を開拓したのです。

国内の開拓が終わったことで、人々の有り余るエネルギーは次第に国の外に向けられていくようになります。欧州の列強にやや遅れる形ではありますが、合衆国の帝国主義が始まります。米西戦争、ハワイ併合、『テディ』・ルーズベルト大統領の棍棒外交、二度の世界大戦から、東西冷戦まで……合衆国は常に世界の帝国として圧倒的な存在感を放ってきました――それは今でも続いています。これを合衆国の「帝国の時代」と呼ぶことができるでしょう。

「開拓の時代」と「帝国の時代」、二つの時代の境界は十九世紀末……ちょうど本作の舞台。つまり『鐵軌の帝國』はアメリカ合衆国という国が時代の転換を迎えるその瞬間を切り取った作品でもあるのですね(さっき厳密には西部開拓時代じゃないと述べたのは、一八八五年にはほぼほぼ開拓が終わっているからです)。

アメリカ合衆国が迎えた時代の転換、それは一人の男によって為された。本作は祖国を『鐵軌の帝國』たらしめた男の物語なのです。


最後に、本作に登場した人々の話をしましょう。

メインキャラクターについては特に言うことはありませんね(笑)。だって、本編で散々描いたんだもん。ロバートは西部カリフォルニア育ちのフロンティア・スピリット、探究心に溢れた学者気質、軍人の叔父譲りで元ウエストポイント士官学校生なりの愛国心と、いかにもアメリカンなヒーロー。アンジェラは反骨心に溢れた典型的なヒロインかと思いきや、フロンティア・スピリットを持ち合わせていたり。稲熊は黒澤明作品や太平洋戦争を扱った作品に登場する日本の軍人のような、アメリカ人による日本人のステレオタイプ。リニーは白人社会との狭間にあって新しい時代を生きるインディアン。以上、終了。ちなみに、四人の名前の頭文字を取って並べると……?初見で気付いた人がいたとしたら、天晴なもんです(笑)。

一方、本作では実在の人物が多数登場し、血の通ったキャラクターとして活躍するのも特徴です。西部劇のヒーロー、ワイアット・アープ。誇り高きアパッチの戦士ジェロニモ。正義と真実を愛するクリーヴランド大統領。アメリカン・ドリームの体現者ジョン・ロックフェラー。そして、全てのアメリカ人が求める偉大な指導者の偶像、リンカーン大統領……。

これがアメリカの精神を描いた作品である以上、実在の人物を描くことはある意味必須でした。実際の性格はどうあれ、歴史に名を残した彼・彼女らはアメリカ合衆国という国を象徴する存在と言ってもよいでしょう。


一八八五年、アメリカ合衆国――そこには「アメリカ」という価値観が、「アメリカ」らしい型を身に纏って存在していました。その神髄は今も失われずに残っている。これから先も、彼らは星条旗を掲げ、その下に集うでしょう。例え形無き亡霊が現れ、彼らの連帯に挑んだとしても。広い大地に立って進み続ける、そこに進むべきレイルが敷かれているかのように――「アメリカ」という時代を生きていくのです。