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EX5-1

「というわけで……」

カノンは編集長の机に書類を差し出した。

「休暇の申請をしたいのですが。」

『というわけで』は大抵の場合、その前につらつらと事情の説明があったのを示唆しつつ、それを省略して便宜的に用いる単語だが、この場合は『というわけで』の前にちっとも納得のいく説明は無かった。

「待て待て待て」編集長は手を掲げた。「君の言いたいことがさっぱり分からん。グリム県に行くってところまでは分かったが、結局その目的は帰省なのか、取材なのか?話が混ざってて結論が見えてこなかった。」

「結論が見えない」というのはカノンが記事の草稿を見せた時にもよく言われる言葉だ。悪いクセみたいだ。

「グリム県には実家があるので帰ろうと思っていますが、第一は二人について取材することです。職務の一環といえば一環ですが、『テラレジア・クロニコ』の取材ですし、正式には認めてもらえないと思って、ひとまずは有給休暇を……」

「つまりはアレか、例の件でろくでなし共は首を突っ込むと決め込んだわけか。」

「ええ、そのつもりだそうです。」

「それでライカもついて行くのか。」

「わたし、取材担当ですから。」

「ダメだ。」

編集長はバッサリ切り捨てた。

「えっ。やっぱり有給はダメですか……?」

「いいや、有給休暇は労働者の権利だ。俺が言ってるのはグリムに行くことだ。向こうが今どういう状況になってるか分かってるのか?陸軍の反乱部隊が市内全域の全権を掌握してる。警察も何も機能してないんだ。実家のことは、気の毒だと思う。心配なのは分かるが、君一人が行ったところで何ができる。悪いことは言わないから今は帰らない方がいい。取材なんぞはもってのほかだ。確かに俺は常々『取材は自分の足で稼げ』と言ってるが、だからといってジャーナリズムのために命まで懸ける意義はどこにもない。」

「編集長……。」

編集長は机の上に置かれた書類を手に取って、一瞥をくれてからすぐに突き返した。

「有給休暇の申請を拒否されたのは後で組合にチクればいい。それでも、グリムに行くための休暇だってんなら、俺は絶対に許可しない。」

「……しませんよ、流石に。」

「あのろくでなし二人を止める権利は俺にはない。だから俺は何も言うまい。だがライカ、君は俺の部下だ、俺には職務を監督する義務がある。取材のために行こうってんなら、命令してやめさせることもできるはずだ。違うか?」

「違いません。」

事務所が静まり返った。事務所が静かなのはいつものことだけれど、今はそれが居心地悪い。

「あの……」

カノンはか細い声を上げた。自分でもびっくりするくらい小さい声で。

「何だ。」

「実家はグリム県といっても、グリム市とは湖を挟んで反対側にあって、田舎ですし、今のところは反乱軍の勢力圏外みたいです。それで二人とも約束したんです、二人が向こうの勢力と接触する間、わたしは実家でお留守番するって。今回ばかりは二人も、一筋縄ではいかないって分かってるみたいです。わたしはせめて、できる限りは手伝いたいと思ってるんですが……それでもダメ、ですか。」

編集長はカノンを見上げて黙っている。

「それに、わたしは十八の時に家を飛び出して、それ以来実家には帰ってませんでした。だけど今こういうことになって、一人残してきた母のことが心配になってきたっていうのも、ウソじゃないんです。」

相変わらず黙っている。カノンが諦めて引き下がりかけたとき、編集長はやっと口を開いた。

「俺にも息子がいる。誰に似たか、聞き分けの悪いやんちゃ坊主だが、それでも始終気にかけている。ライカも、お袋さんに顔を見せた方がいい。こういうのは思い立ったが吉日だからな。」

「はい。」

「あいつらとした約束とやら……ちゃんと守れよ。」

「はい。」

「土産は要らないから、無事に帰ってこい。三人ともな。」

「はい。」

「……だいたいが君、土産選びのセンスが悪いんだよ。クリタ海岸に行って土産がまんじゅうはないだろ、まんじゅうは。」

「……はい。」

編集長は「分かったらよし」と書類に署名をしてカノンに手渡した。カノンは深々と頭を下げて、手にした書類に目をやってから、「さっきの話……」と言いかけた。

「『ジャーナリズムのために命まで懸ける意義はない』って、そう思いますか。」

「ああもちろん。……あ、いや、別に君の親父さんのことを言っているわけじゃないんだ。」編集長はカノンの父親の話を聞いたことがあったから、失言だったと思った。「相手がファシストだから、そう思っただけだ。」

「……内戦時代のお話ですか。」

彼はしかと頷いた。

「本社で働きだした頃、職場の上司から聞いたことがあるんだ。かつてのテラレジア統一党は報道統制に余念がなかった。自分たちに批判的な報道姿勢を決して許さなかった。それでも共和派を貫いた新聞社の記者たちがどうなったか……。その人は言っていたよ、確かにジャーナリストは真実を追い求めるのが仕事だ。けれど自分の命に勝るほどの大義なんてない、時勢が変われば口を閉ざしたって構わない。自分の心一つが変わらなければ、それで十分じゃないかって。俺も彼の意見に賛成だ。ジャーナリストは正義の感に酔いしれたヤツから倒れていく。あくまでも現実主義を貫け、俺たちはヒーローでもなければ、ただの下卑た人間だ。……ライカはそういうところ、苦手だろうな。」

「えへ、そうかもしれません。やっぱり、許せないことは許せないと思います。」

「普段はそれでいい。だが本当に切羽詰まった時は……な。」

カノンは頷いた。こういう話題は、アークとフェルドは絶対に同意しないと思う。だから編集長とはどこか気が合わないのかもしれない。カノンも少しずつそれに影響を受けてしまったと思う。

「内戦時代のこと、実は知らないことばっかりです。うちは祖父母と同居してなくて、母も内戦後の生まれですから。」

「俺だって四十余年前は幼気な子供だったぞ。それに首府の生まれだから戦闘に直接巻き込まれたことはないしな。その辺り、印刷屋の店主なら知ってるだろう。」

「ガリバンさんですか。」

「だが気を付けろよ。あの時代のことは語りたくない人もたくさんいる。食べ物に困ったとか、暮らしが厳しかったとか、それくらいの思い出話ならいいが、特に戦闘に参加していた者たちは……な。」

「はい。この機会なので、常識として少しは知っておこうと思いまして。」

編集長は「気分が悪くなったらよしておけ」とだけ言い残して仕事に戻った。カノンは書類を持って自分の机に戻っていった。


昼休み。事務所から一階に下りる階段を歩いている途中で、既に二人の活発な議論が聴こえてくる。

「……とまあ、とにかく」話を仕切るのはフェルド。「串料理ってのは手で持ってかじることに最大の意義があるわけだ。」

「それは同意する。」アークが切り返す。「けど、その行為そのものが美味しさを保証するものではないだろ。」

カノンは階段室から印刷所に通じる扉を開けた。

「はいはい、今日は何のお話ですかーっと。」

カノンの大方の予想通り、客のいない印刷所で、二人は雑務をつまみにしながら会話をしていた。ガリバンは奥の作業机で聴こえないふりをしている。

二人はカノンが入ってくると同時に顔を向けた。ガリバンも作業を止めて振り返った。

「おう、カノン。ちょうどいいところに。」

「スケベな話なら聞きませんからね。」

「串料理のどこがスケベだって?いいかカノン、大抵の食べ物は串に刺すと美味くなるよな?」

「そうですね。お肉もお魚もお野菜も果物もお菓子もね。わたしはマシュマロがいいな。」

「そうかそうか」アークは頷いた。「さっき話してたのは、どうして串料理は美味いのかって話だ。余が思うには、我々が串に刺した食べ物は美味くなると信じている、その信条こそが一番大切なんだよ。ところがコイツは、」そう言ってフェルドを指さした。「串に刺して食べるという行為そのものが食べ物を美味くすると信じている。」

「当たり前だろ。」フェルドはしかと頷いた。「いいかカノン、よく聞けよ。俺たち人類がまだ布一枚で暮らし、槍で獣を狩っていたころ、人類はどうやってメシを食っていた?」

「どうやって、って……なんかそういうアニメありましたよね。」

カノンはどこかの本の挿絵で見た原始人の姿を思い起こし、勝手な想像を膨らませてみる。

「焚き火をして、周りに食材を並べて……そう、串に刺して!」

「そうだそうだ、それで?」

フェルドは前のめりになって続きを促す。

「いい感じに焼けたらそれを手に持ってガブリ……ですかね。」

「そうだよ!」指をパチンと鳴らす。「現代の串料理はまさしくそれだ。つまり串に刺して食べるという行為は人類の最も原始的で尊い行いなんだぜ。つまり俺たちの血に刻まれてるんだ、串に刺したら食い物が美味くなるようにな。」

なるほど、カノンは合点した。テラレジアの串料理は太古から伝わる命の記憶なんだね。

ところがアークは首を横に振る。

「確かにフェルドの言う通り、大昔の人間はマンモスだか何だかの肉を串に刺して食ってたろうさ。だけどその事実が串料理を美味くしてくれるわけじゃない。串料理を美味く感じるのは我々自身だよ。」

「じゃあなんだ、串料理を美味いと思うのは俺たちの暗示ってことか。」

「早い話が、そうだ。料理ってさあ、それ自体の美味しさもだけど、我々の感情だって大事だろう。『以前食べた時に美味しかった』とかそういう記憶がさらに美味しくしてくれるんだ。今、我々は『串に刺すと美味い』と信じている、その信条自体が串料理を美味くしてくれるんだよ。」

なるほど、カノンは合点した。美味しい料理は思い出に残る。何度も食べればどんどん思い出深いものになる。その記憶が料理を美味しくしてくれるんだね。

「どうかねえ、なんでもかんでも感情に原因を求めるのは、安直すぎねえか。」

「根拠のない理屈を並べ立てるのもいけ好かない。カノンはどう思う?」

「そうですね……料理は愛情、ですよ。真心を込めながら一つ、一つ、食材を串に刺していくから……」

「それはないだろ。」

「ないな。」

「ひどい!」

考えは人それぞれあっていいでしょ。というかこれ、理由は一つじゃないと思うんだけど。

カノンは頭ごなしに否定されたのですっかり気を悪くして、近くにあった段ボール箱の上にどっかり座り込んだ。

「おい、それ、発送前の商品なんだけど……」

「あっ!」

慌てて立ち上がると、段ボールの上面には既に丸い凹みができてしまっていた。

「あーあ、お前のデカい尻が……」

「わたしのお尻はデカくない!」

「いいんじゃない?これの発注元は男だし。」アークは伝票を覗き込んだ。「サービス料つけて割増で送りつけよう。」

「アークさんっ!」

そこへガリバンがのそりと出てきて、三人の顔を順番にぎろりと眺めた。

「ガリバンのおじいさん、ごめんなさいっ!」

ガリバンは首を傾けてカノンの足元にある凹んだ段ボール箱を見やった。

「構いゃせん。そりゃ向こうの古本屋の親父に送るもんだからな。」

「すみません、すみません……弁償します。」

「構わねえって。……コイツらの給料から引いとく。」

「「は?」」

二人は同時に身じろぎした。

「この親爺、王をタダ同然でこき使うに飽き足らず……」

「爺さんさあ、老い先短いんだから少しでも善行積まないと……」

「善行だろが。罪のねえ娘っこを助けて、仕事をサボるろくでなし共に制裁を加えたんだからよ。」

「『罪のねえ』?有罪だろお、この判『ケツ』は。」

フェルドは元凶のお尻をポンと叩いた。

「破廉恥!」

ここに来るといっつもこんな話題ばっかりだから、当初の目的を忘れそうになる。男はよく女の会話を「中身がない」とか「長ったらしい」とか言うけれど、生産性の無さでは男同士の会話の方がずっとひどいと思うんだけど。

「編集長から休暇の許可が下りましたよ。」

最初はこの報告をするだけのつもりだったのに。それを聞いたら二人は「ん、そうか」と素っ気なく答えた。どこか残念がっているような、そんな調子で。

ガリバンはその報告を黙って聞いていた。二人が家を空けるのだから、彼も話は聞いていたはずだ。

「行くつもりか。」

ガリバンが重々しく問いかける。

「ああ。余の国で謀反叛逆は許さない。」

「ちゃっちゃとカタつけてくるからよ。」

今度はカノンに顔を向ける。

「お前も行くのか。」

「はい……途中まで、ですけどね。些細でもわたしにできることをやろうと思うんです。」

「お前らはろくでなしだ。カノン、お前さんもだぞ。」

「アハハ、わたしもですか……」カノンは頭を掻いた。

「だが――今の若いモンは、わしらの頃よかマシだ。」

「親爺の若い頃か……想像つかないな。」

カノンはハッとした。先刻の編集長との会話が蘇る。

「それって……四十年くらい前のこと、ですか?」

言ってしまってからガリバンの気を悪くさせたらどうしようと不安になったが、元より、彼が言わんとしていたのはその話題だった。

ガリバンは頷いた。

「四十年前……内戦時代か、その前くらいか。親爺はちょうど、今の俺たちくらいの年代だよな。」

「ああそうだよ。わしが言いてえのは、今の若いモンは、ろくでなしはろくでなしの割に、善悪の判断くれえはつけられるんだなってこった。」

訊くなら今しかない、そう思った。カノンはガリバンの名を呼んだ。

「おじいさん、その……よかったら聞かせてくれませんか、その時代のお話。……えっと、もちろん、話したくないこともあるかもしれませんけど、聞かせてくれる範囲で。」

少しの時間の間に、ガリバンは思いをめぐらせたのかもしれない。自分が何を体験したか、そのうちの何を伝えるか、それを伝えたら、目の前にいる若者たちはどう思うか、これから反乱軍と対峙する彼らに、そこから何を学べと言うつもりか。たくさん考えて、最後にやっと口から出たのは「こんな老いぼれの話を聞きたいか。」という確認だった。

「ああ、聞かせてくれ、親爺。」

「構わねえよ、別に俺たちは楽しい話を求めてるんじゃねえ、親爺の真実が聞きたいんだ。」

「……いいさ。話してやるよ。先に言っておく、これを聞いてお前らがどう思おうが構いやしねえ、ひょっとしたら、これまで以上にわしが嫌いになるかもしれねえが、それも仕方ねえと思う。それでも本当のことを話すさ。それがせめてもの誠意ってもんならよ。」


あの頃の思い出を懐かしそうに語るのは大抵、今の四十代か、五十代のやつらだろ。あいつらは当時まだガキんちょで、思い出といえば、パン一つのために隣町まで行って並んだとか、そこいらでカエルやら虫やらを集めて煮て食ったっていう、無邪気なもんばかりだからよ。これがわしらくらいの歳になると、大きく二つに分かれやがる。何かにつけて語りたがるやつと、過去は過去で放っておいて、ほとんど触れたがらねえやつ。この違いがなんでか分かるかよ?……ふむ、「大切な人を亡くしたから」か。確かにカノンの言うような理由もあるかもしれねえ、だが、もっと一般的に分けられるんだ……百発百中、必ずってわけじゃねえけどな。つまりよ、昔話を「できる」やつは共和派、「できねえ」やつは……ファシストだったってことよ。

そもそもテラレジア内戦ってのは、現政権の共和派と、急進のファシスト、テラレジア統一党との戦いだ。

イタリアのムッソリーニが一九二九年、ドイツのヒトラーが一九三四年、スペインのフランコが一九三六年。何の年か分かるかよ。……ヨーロッパの国々でファシズムが完成した年だ。でもな、ファシズムってのはこれだけじゃねえんだ、フランコすら死んだ今じゃ想像つかねえかもしれねえけどよ。その当時、ファシズムってのは「流行り」だったんだな。他の国でもいろんなファシストが活動していたさ、フェデライトでも、テラレジアでも、な。それがテラレジア統一党だ。

統一党もよお、出てきた時から悪者ってわけじゃなかったんだ、プロレスじゃねえんだからよ。あいつらは言葉巧みに現体制の問題を鋭く突いて、実際、その言説もいくらかはもっともらしいものだった。何より、そういうビシバシものを言うやつらってのはこう、見てて小気味いいものなんだ。だから統一党を指示してるやつだってごまんと居た。数年のうちに一気に増えた議席がそれを表してた。みんな、過激だと思いつつもそれを愉しんでたんだよ、若いやつらは特に、な。若いやつらってそういうの好きだろうよ、反体制的っていうか、『トゲ』のあるやつらが。とにかくな、今の若いモンがロックバンドのコンサートに行くみてえに、わしらの世代は統一党の集会に集まってたんだ。馬鹿らしいって思うか?ホントにそうだよな。それで……ここまで聞きゃもう察しが付くだろ?わしは……ファシストの一味だったよ。それもどっぷり浸かってた。

……言い訳がましいが一つだけ言わせてくれや。わしはファシストだったからって、この手で誰かを撃ち殺したりなんざ、誓ってしてねえ。わしは家業で忙しかったからよ。だが、わしの知ってるやつらは何人も、ファシストの兵隊になったな。そいつらのことは知らねえ。戦死してなけりゃ、ちょっとだけ刑務所に入れられて、その後はどこかでのうのうと暮らしてんじゃねえか。世の中見回せば、自分から言い出さねえだけで、そういうやつってごろごろ転がってっからよ。

話を元に戻すと、だ。ただの政党だったテラレジア統一党が明らかにおかしくなったのは、ナチのヒトラーやスペインのフランコとべったりくっつくようになってからだ。ナチス・ドイツはその頃既に再軍備を進めていたから、統一党は熱心に武器を買い付けた。統一党は若い衆を集めて「青年隊」ってのを結成した。表向きはボーイスカウトじみた集まりだったんだが、実際は統一党の洗脳教育と私兵の養成よ。ファシストの主勢力として最後まで戦ったのもこの青年隊ってやつらだ。

そして時はきた。一九四〇年の総選挙で第一党を逃した統一党は選挙結果を不服として無効を主張、支持者を焚きつけ、武装蜂起してテラレジア国軍に攻撃を開始。これが一九四五年まで丸五年ほど続いたテラレジア内戦のはじまり。戦闘は瞬く間に全国に拡大した。当初、国軍は数と練度で勝るにも関わらず、ドイツ製の最新兵器を前に苦戦を強いられた。三号戦車って、知ってっか?最新鋭のドイツ製戦車よ。国軍の騎兵隊やブリキ戦車なんかメじゃなかった。数ヵ月で大敗を喫した国軍は連合国に助けを求め、アメリカ合衆国や英国から兵器の供与を受けた。さらに国軍は義勇兵を募り、共和派としてファシスト共と対峙することになったんだ。

こんなことになって、どうしてまだファシストを支持する国民がいるんだって、そう思うか?――どうしてだろうな。……みんなおかしかったんだ、どいつもこいつも。人間、ひでえことが起こりすぎると、感覚が麻痺してどうかなっちまうんだと思う。

お前ら、ファシスト共の横暴は学校でも習うんだろ?どんな話だ?「意にそぐわない者は無辜の民でさえ銃を向けた」とか「民衆から物資を収奪した」とかか?確かにそれも真実ではあるが、わしに言わせりゃ共和派も似たようなものだな。その当時、「接収」っていうんだが、戦場で必要なものを現地調達するってのはよくあったんだ。法律では後で補償をするって決まりなんだがよ、まあ守られちゃいなかったな。それに共和派のやつらだって横暴なのはいたよ。命を懸ける仕事だ、そうでもしなきゃ自分の心を守れりゃせんのだろ。

連合国の共和派への支援もあり、ナチス・ドイツの戦況の悪化もあり、統一党は徐々に力を失っていった。主要な戦闘ってのはだいたい開戦後二年か三年の間に起こっていて、一九四四年以降は局所的な戦闘がほとんどだな。もっとも、テラレジアという国自体がもう限界だったよ。土地は荒れ、人は痩せ、これ以上の戦いは誰もが傷つくだけだ。統一党が最後まで勢力を保っていたのは南部だな。グリム県とか、その辺りだ。南部の低所得者層が支持基盤だったからな。散り散りになったファシストが最後の拠点を失い、幹部連中が全員拘束されたのが一九四五年の夏。ヒトラーはとっくの昔にくたばって、日本の南の沖縄ってところで日米の激しい戦いが繰り広げられてた頃だな。まあ、内戦が終わってからも、国民はしばらく明日の食い物にも困る生活を強いられてたんだがな。

内戦が終結した時の感想……「やっとか」って、それだけだったな。顔に覆い被さってた真っ黒い布がようやくはらりと落ちた感じ。うんざりだったんだ、苦しいのは腹が減ることじゃねえ、思想とか信条とか、考えてみりゃつまらねえことで誰かを憎んだりいがみ合ったりしなきゃいけねえってのがよ。だからわしらの世代じゃ、ぐっと心にしまい込んで思い出さねえようにしてるのもいっぱいいるんだ。

最後にわしの話だけしておくか。わしは統一党がいよいよ過激になってきた頃から一切エンガチョして、家業の印刷にのめり込んだ。逃げたんだよ、いろんなものから。首府ではほとんど戦闘がなくて、始終共和派の勢力圏にあったが、それでも血生臭い話はいくらでも流れてくるんだ。いくらかは自分の目で見たこともあるよ。終結後もしばらくはそれだけで食っていける仕事じゃなくて、度々出稼ぎに出たりしてた。もう三日はまともに食ってねえって日に、闇市でありついた飯の味は忘れられゃせん。……わしがさっき、お前らの話を黙って聞いていたのは、串焼きの美味さでくだらねえ話ができるくらいが、一番平和じゃねえかって思ったからよ。

長くなったが、これで終わりにする。


「なあお前らよ、お前らは家賃もちゃんと払わねえし、仕事も真面目にやらねえ本当のろくでなし共だが、それでも、ファシストくずれにおめおめ殺されていいやつらなわけゃねえよ。悪いこたぁ言わねえから、今からでもやめにしたらいいんじゃねえかって、思ってる。お前らはあの頃のわしとは違う、ちっとは骨のあるやつらだが、限度ってもんがあるだろよ。……カノン、お前さんもだ。お前さんはこの街にひょろっと現れた頃より、ずっといい目をするようになった。つまらねえところで夢を諦めちゃやりきれねえ。」

「ありがとうございます、ガリバンさん。わたし、諦めてませんから。」

「ありがとよ。けどこっちだって負けてられねえんだ。」

「そうか。」返答ははじめから分かっていた。「だとしたら、わしらはお前らに謝らにゃならんな。あんな賊共を現代まで残しちまったのは、わしらの落ち度だ。この責任は、わしら一人一人にあると思う。」

「案ずるなよ。」アークは微笑んだ。「弱くても、小さくても、間違っても、健気に生きようとするこの国の民が余は好きだ。」

……心の底から王様気取りの王様め。

「勝手にしろや。」

アークは立ち上がった。昼飯にはいい時間だ。二人も一緒になって立ち上がる。

「必ず帰ってくるよ。だってそうしないとまた『今月分の家賃がー』……だろ?」

「けっ。」ガリバンは吐き捨てるように言った。「支払いはもう少しだけ待ってやらあ。」