一年で最も昼が短い季節が近付いていますね。
同じ時間に帰るにしても、夏はまだ明るく暑さも残っている、冬はもう真っ暗ですっかり冷えています。そういった季節の違いが、「帰り道で思うこと」にも影響を与えているようです。
冬の帰り道で思うことといえば、「早く帰って温まりたい」、それが第一です。そして「帰ったらあれしよう、これしよう」と考えがめぐっていきます。そういう時間は、身体は冷えていく一方ですが、心はなんだか温かいですね。
それと、冷えていると頭がさえてきますので、いいアイデアを思いつくことがなんとなく多い気がします。これも「帰ったらさっそくやろう」と思えてきて、楽しいですね。
とはいえ、外に長居はしたくないので、なるべく早く帰ります……。
お久しぶりの今月のピックアップのコーナーです。
このコーナーでは過去の雨宿拾遺物語に掲載した作品をピックアップし、作者自らがだらだらと思い出話をします。
これまでに掲載した内容はこちらから読むことができますよ。
さて、今回とりあげるのは『お嬢店長おかしまし』から2025年夏に掲載した中編『美北に生きた時』編(第54話~第58話)です。結子たちが暮らす街「中辻市」や「都原市」から離れ、東北の町「美北町(みきたまち)」で繰り広げられる短い夏の物語……という、ちょっと変わった舞台設定です。どうしてこのお話は生まれたのでしょうか。雨宿はどんなことを考えていたのでしょうか。そんなお話をしていきます。
まだ読んでない人はこちらからどうぞ。物語のプロローグとなる特別編7です。
『美北に生きた時』編、通称「美北編」、こちらは『お嬢おか』毎年恒例となった4~5話の続きモノである中編シリーズの、第四弾です。雨宿拾遺物語第55号から第59号にかけて連載されました。あらすじはこんな感じ。
夏の盛り、結子は母 時子と一緒に母方の実家がある東北の町 美北町(みきたまち)に里帰りした。結子はそこで町内の高校生 萩間浩史(はぎまこうし)と出会い、活気を失いつつある美北町の現状を知る。町の未来のため、浩史と共に行動を起こすことを決意する結子。その思いは奇しくも父 満爾がかつてこの地で抱いた情熱と重なっていた。
交差する二つの時代、それぞれの美北に生きた親子の意志――。
舞台は東北の町、美北町であり、いつもの中辻市からは離れ、そのため登場人物もガラリと変わります。そしてこの中編の最大の特徴は、一話の内容が二つに分かれていること。お母様と一緒に里帰りした結子が主人公の「現代編」、1999年、時子と結婚する直前の父満爾を主人公にした「1999年編」が同時進行していくのです。(これについては後述します。)
ともあれ、まずはこの「美北編」を書こうと思ったきっかけから。
美北編のストーリーは、実はずっと前から書こうと思っていました。どれくらい前からかというと、結子の両親というキャラクターを考えた時点からです。つまり、連載開始前の構想初期からってこと!
「この人たちはどうやって出会ったのかな~」ということを考えていた時、1999東京編、美北編がぼんやりと頭に浮かんできました。(1999東京編はお嬢おか中編の一つで、第31話~第34話。1999年の東京で満爾と時子が出会った頃のお話。)
当初は1999東京編と美北編を連続でやろうかと思ったのですが、それだと流石に主人公が出ない期間が長すぎるってことで却下……。その頃には「毎年中編を書く」ということは決めていたので、じゃあ美北町のお話はまた後でってことになりました。
期間が空いたので美北編の舞台、美北町について考えをめぐらせていたところ、ある時ひらめいたのです。「この街で結子の話も書けるな」と。
考えてみれば、青春モノの鉄板ですよね「田舎の街でひと夏の冒険」。まして結子は好奇心旺盛なお嬢様、地元の子と交わったら面白いことをやってくれそうです。これは書くっきゃない。
だけどね、単なる青春モノで終わらないのがこのマンガ。
美北編には、一つの難しいテーマを挿入することにしました。それは「地方の過疎化」。
もともと、雨宿は東北の出身です(そこまで田舎じゃないけどね)。子供の頃には震災を経験したりしましたけれども、それ以上に近年深刻に感じているのがこの問題ですね。ほんの十年前と比べても、明らかに世間が寂しくなっているのを感じます。
ハッキリ言って仕方のないことです。だって暮らしにくいんだもん、田舎。公共交通にしても生活サービスにしても年々不便になっていくし、地域のコミュニティは息苦しいし、その上最近はクマが出たりしてねえ。未来がない。
これは前にも話しましたが、雨宿はそうした田舎を「理想郷」として描くようなフィクションがニガテです。夏暑く冬寒いので大変です、景色がいいからなんだっていうんでしょう、いい人だっていれば悪い人だっているのはどこも一緒です。だから僕が「田舎」を描くとしたら、決していい面ばかりでないところも描きたい、それが「美北編」に出てくる「美北町」なのです。そして極めつけとして、結子店長には「過疎化」という一番の問題に向き合ってもらうことにしました。
さて、ストーリーの結末を言ってしまいましょう。結子は美北町に活気を取り戻す策を思いつくことができませんでした(しかも最後の最後になって熱を出して寝込んでしまいます)。僕だったら結子に「そりゃしかたないよ、誰だってどうしようもないことだから」と言ってあげたいですが、彼女はとても悔しい思いをしたことでしょう。数少ない挫折を味わう場面です。
結子の挫折、そしてそれを通じて地方が抱える問題の難しさを少しでも感じ取ってもらいたい、そんな思いが込められているのです。
美北編は実にトリッキーな構成で描かれています。通常18ページとなる一話を9ページ×2に分割し、それぞれで結子の「現代編」、満爾の「1999年編」が展開していくのを、読者は同時に読み進めていきます。そして最後は一つにつながるのですが、どうしてこんな作りになったのでしょう。
先ほど述べた通り、ストーリーの構成として先に考えてあったのは「1999年編」です。町の大人物である末広家の娘、時子と結婚を目指す満爾。だが、この街と神之目不動産にはよからぬ縁があった……。これとは別に「現代編」を考えていきました。すると不思議なことに、いろんな場所で二つのお話がつながりはじめたのです。
美北町がたどった歴史、そこに暮らす人々の想い、街はいろいろなもののつながりでできていて、二つの時代のお話によってそれをとても鮮やかに描けるということに気付きました。こうして構想を練り続けているうち、あることを思いつきました。
「これ、それぞれ順番にやるんじゃなくて二つ同時にシンクロさせられないかな?」
思いつく分にはよかったのですが、やってみると実は大変でした。まず、それぞれの話のページ数を合わせるのが大変。どちらかのストーリーが進み過ぎるのもよくない。それぞれの話は一話あたり9ページだから、短い中でどう描くか。
中編のラストとなる第58話は一つにつなげる、というのは台本を書いてる途中で思いついたとっさのひらめきです。1999年編の結末は敢えて描かず、満爾の言葉と表情によって伝える。読者は結子たちと同じ気分で昔のことに思いをはせるのです。
やってみた感想は、意外と面白かった。
日々、新しいことに挑戦していきたいですね。今後も新しいマンガの描き方をやってみたいです。
最後に、結子のお母様、神之目時子さんについてをちょっと書いておきます。
時子について、みなさんはどんな風に感じているでしょうか。僕個人は結構好きなタイプです。「推しキャラ」というのではなく、「輝かしさと影とが感じられて、味わい深い」という感じです。
時子がでてくる話といえば第8話、第19話、特別編4、1999東京編、第36話、第53話、そして美北編プロローグの特別編7あたりです。この話題について話す前に一読しておいていただけるとありがたいです。
時子さんって、割とはちゃめちゃな人です。女優業が忙しいのであまり家に居らず(東京の別邸にいます)、家事は家政婦さんにお任せ、かと思いきや手が空いた時は思い付きでご飯を作ってくれたりします。(家事って本来「思いつき」でやるようなものじゃないよね。)娘のことは「結子ちゃん」とかわいがっていますが、厳しめに指導することもあります。こうした姿勢の根底には、故郷・美北町での生い立ちがあるからなのでしょう。
時子さんの実家、末広家は戦前までは美北町の大地主で、政治家などをやっていた由緒ある家系です。本家の一人娘である時子は、幼い頃からそれはもう厳しい指導を受け、稽古事などをやらされてきたようです。普通の家庭にあるような団らんとは無縁の生活だったようで、高校を卒業してついに家出、一人上京しました。
そんなことがあったので基本的には美北町にいい思い出はないのですが、まったく嫌いというわけでもなく、とても“アンビバレント”な感情を抱いているようです。嫌々と言ってもそこはやはり故郷であって多少の里心はあり、何といっても末広家の令嬢として街の人みんなから大切にされた記憶は、大女優としてもてはやされる今となっても並々ならぬもののようです。
彼女が中辻の街で同じような地位を築く神之目家の跡継ぎ、満爾と結ばれたのは当然のことかもしれませんね。やんごとなき家庭に生まれ、やんごとなき家庭に嫁いだ彼女、普通の家庭の愛され方は知らないけれど、故郷でも世間でもあまりに多くの人に愛されてきた、そういう彼女だからこそ、ちょっと変わってるけど、精いっぱいに愛情いっぱいな姿勢で結子と接しているようです……。
……と思うと、時子さんのことが違って見えてきませんか?
既に連載開始6年を越えた『お嬢おか』は、これから大きな転換点を迎えます。今後もお楽しみに。
特にないけど元気に活動中!