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迷宮団地とのんちゃん

少年の頃は迷宮団地に暮らしていた。

その団地はどこの都市の郊外にでもあるような公営団地の一つで、規模はそれなりに大きかった。一つ、他と変わっているのが団地の複雑に入り組んだ配置で、それを団地の子供がファンタジーになぞらえて「迷宮」と称したのが、地域でもすっかり定着していた。どう入り組んでいるかというと、例えば、ぼくが住んでいたのは4―A棟だったのだが、その隣に立っているのはF棟だった。じゃあB棟やC棟はどこにあったかというと、もっと離れたところにあって、こんな具合に住棟の並びが滅茶苦茶になっていた。その上、敷地が斜面地にあったものだから、階段が、あちらこちら予期せぬところに現れる。これがエッシャーのだまし絵のように、迷宮を迷宮たらしめているのだった。ぼくは今となってはその団地の地図を曖昧にしか描くことができない。小学生の未発達な大脳で生きていたのだから仕方のないことだし、それに今となっては実物を確認することもできないからだ。ぼくが小学五年生に上がった年に、迷宮団地は取り壊しが決まった。

今でもドラマなんかでしばしば描かれるように、団地はそれ一つが村のようなものだ。そこにはそれらしく道理のまかり通らない因習じみたものも存在した。その一つは「団地で子供が一人で遊んでいると、迷宮の狭間に迷い込んで幽霊に連れて行かれる」というものだった。迷宮団地で子供が一人きりで遊んでいると、子供の幽霊が現れる。その霊は生前、団地に暮らしていた子なのだが、一緒に遊ぶ友達がいなくて寂しい思いをしていたそうだ。だから亡くなった今でも友達を求めてさまよっていて、一人でいる子供を見つけると迷宮の狭間にある死後の世界に連れ去ってしまうという。ぼくたちは大人に「一人で遊んではいけない」と口酸っぱく言われてきた。いかにもらしい怪談なのだが、タネ明かしをしてしまえばしょうもない。その昔、団地の中で行方不明になった子供がいて、数日後に崖の下で亡くなっているのが発見されたことから、子供を一人にさせるべきではないという不文律ができたのだ。それをどこかの子供が事故のエピソードを聞きかじったのを、見事に曲解して、「迷宮の狭間」とか「子供の幽霊」などという根も葉もない存在が誕生してしまったというわけだ。これはぼくがずっと後になって事実を知ってから推理したものだが、大方このようなところだと思う。

その頃のぼくたちにとって、現実と幻想は極めて似通った水溶液のようなもので、ビーカーに入った二つの水溶液の間を隔てるのは一枚の浸透膜だけだった。現実が濃くなれば、その一方で少しずつ幻想が入れ替わって混ざり合う。逆も然りだ。そのどちらか一方を完全に受け容れ、もう一方を完全に退けるほど心が完成されてはいなかったのだ。だから件の因習にしたって、幽霊なんかいないことを理屈では十分に理解していたけれど、それと同時に、夕暮れ時に、視界を覆ってそびえるいくつもの住棟の、モンスターのゴワゴワした皮膚みたいな薄汚れた外壁を見ては、その足元に蠢く何かの存在に怯えていた。

だからぼくは今になってもあの迷宮団地にいくばくかの薄気味悪さを感じ、近寄りがたいもののように思えるのかもしれない。ぼくはあの団地が嫌いだったのだろう。

当時、そこまで強く意識していなかったのは、単にあの頃のぼくにはそれ以外に暮らしていける場所がなかっただけの話で。それは、経済的な意味でも、社会における未成年の立ち位置という意味でも。

迷宮団地は、何もかもがしょうもない。でも、のんちゃんだけは違う。

のんちゃんは、4―F棟に住んでいた同じクラスの女の子だ。のんちゃんには亜瑠乃って名前がちゃんとある。ぼくもその頃はそう呼んでいたのだが、今ここで「のんちゃん」と呼ぶのは、のんちゃん自身が自分をそう呼んでいたことに最上級の敬意を表してぼくもそうしているのであって、決して、他の子供や周りの大人がそうしたように、蔑んだり憐れんだりして呼んでいるんじゃない。ぼくだって最初のうちはのんちゃんの一人称を何とかしてやろうと思ってぐちぐちと小言を並べたのだが、その一切合切を聞いてうんうんと頷いた後に、「のんちゃん、わかりました」と答えたので、そこで遂に諦めた。

のんちゃんはいつもぼくと一緒にいた。ぼくたちは隣同士の棟に住んでいて、相手の家の扉の前まで行くのに一分もかからない。だけどぼくはのんちゃんの家のインターホンを鳴らしたことはない。いつもやってくるのはのんちゃんの方だった。あの子は例の因習を固く信じているのか、どこへ行くにも他人の付き添いを必要としていた。そしてその相手は専らぼくなのだ。

のんちゃんはぼくの家の玄関扉をこんこん叩く。扉をノックするような人はのんちゃんしかいなかったから、それだけですぐに分かる。インターホンがあるって教えてやっても絶対に使おうとしなかった。こんこんが聴こえたらぼくが出て行くのが常になっていたが、リビングにいる時はその音が聴こえないこともよくあって、そういう時はぼくか両親か、誰かが気付くまで根気強くこんこん、こんこん、と叩き続けるのだった。時にはずっと気付けないままでいて、たまたま通りかかった近所の大人が代わりにインターホンを押して教えてくれたこともあった。僕は不安げに立ちすくむのんちゃんを叱りつけることしかできなかった。

のんちゃんが必ずぼくを呼び出すのは、もちろんぼくたちの家が近いためだが、それだけじゃなくて、のんちゃんには女の子の友達がいなかったのだ。あの頃の女の子たちって意外に冷淡だ。クラスの中でいつも固まっておしゃべりしていて、その輪の中でホットな話題についていけない子や、意見が合わない子のことはすぐに省いたり、絶交だのと口にする。その点、同じ年頃の男の子ってのはまだガキもガキで、やることなすことハチャメチャだ。だからこそ、支離滅裂なしょうもないノリに馴染める限りは男子であれ女子であれ、同じように輪の中に入れる。大方はそういう流れで、のんちゃんはしょうもなしの女子たちには嫌われていたけれど、ぼくについて来てぼくの友達と一緒になって、男子の中で割に楽しくやっていたと思う。それでも、完全に徒党の一員に加わっていたかというとそうではなく、のんちゃんと男子たちの間には一枚のガラス板が存在していた気がする。

ぼくの両親も含め、大人たちはのんちゃんのことを「足りてない」とか「抜けている」と言っていた。のんちゃんが他の子たちと変わっていることを指してそう称していたのだろうが、実のところ、何が「足りてなく」て、何が「抜けている」のかぼくには分からなかった。それは今でも分かっていない。だけど、それが決して良い意味で言っているのではないことは火を見るより明らかで、ぼくはそういう大人を見るとえも言われぬ悔しさを覚えた。あの頃のぼくの口がもっと達者だったら、何か言い返して丸め込んでやることもできたのかもしれない。でも、子供の脳みそが大人のそれに及ばないことは分かり切っていて、下手に手を出しても適当に言いくるめられてしまうのが見えていた。ぼくはそんな大人を見つめてじっと黙り込んでいた。

休日ものんちゃんはうちの玄関扉を叩く。時には朝早くからやってくる。あの子はきっと、あまり自分の家にいたくなかったのだと思う。

迷宮団地は公営住宅で、そういう家賃の安い家には、往々にして、様々な込み入った事情を持つ世帯が住み着く。団地全体を見ても、そういうのは決して珍しくなかった。誰も彼もしょうもなしには違いなかったけど、のんちゃんの家はとびきりのしょうもなしの家だった。団地の者があの家庭についてよからぬうわさを口にしているのを度々耳にした。とにかく、のんちゃんの家はのんちゃん自身にとってもいいものでなかったのは確かだ。

その日は昼頃に扉を叩くのが聴こえて、ぼくはいつものように出かける支度を整えてから玄関を開けた。クラスの中でも一番か二番目に背が低い、しょっちゅう一年生や二年生に見間違われるのんちゃんは、ぼくを見上げるようにして立つ。

今日はどこに行くんだってぼくが問う。

「うどん。」

そうだろうよ、訊かなくても大体分かっていた。

迷宮団地の一画には休憩コーナーがあった。屋根のついたところに、自動販売機がずらっと並んでいるのだが、その中にはレアものもあった、その一つがうどんの自動販売機だ。うどんの自動販売機っていってもピンとこないと思うけれど、簡単な話、お金を入れてボタンを押すと、プラのカップに温かいかけうどんが一杯でてくる自動販売機なのだ。やはり全国的にも珍しかったのだろう、団地が取り壊されても変わり種の自動販売機群はどこかの愛好家が買い取っていったと聞いた。うっすいだしに、ベチャベチャした麺、具材は何もないし、量だって多くない。お店のうどんに比べてもコストパフォーマンスは最悪のものに違いないが、のんちゃんは昼飯にしょっちゅうそれを食べたがるのだった。あの子が「うどん」といえば、そのことを指していた。

あい分かったと答えて、ぼくは先に立って休憩コーナーに向かって歩き出した。のんちゃんはぼくの真後ろをついてきた。これもいつものことである。のんちゃんは先導することも、隣を歩くこともない。いつもぼくの後ろについて歩くのである。行きたい場所がある時は歩き出す前に申告するのでその通りに案内してやればいいが、目的もなく、ただ外を出歩きたいだけの時もある。そうしたらぼくは勝手にあちこちを歩き回り、のんちゃんは一つの意見も言わずにぴったりついてきた。ぼくとのんちゃんの姿は団地でおなじみの光景になっていたが、何も知らない大人からはぼくがのんちゃんを連れ歩いてあちこち振り回しているように見えただろう。のんちゃんを嫌う女の子たちはその様子が金魚のフンみたいだと言って、「ふんちゃん」と嘲っていた。ある程度はぼくに向けられた軽蔑でもある。ぼくは悔しくて言い返してやりたかったが、同い年の女子ですらぼくにとってはひどく大人びた存在に思えて、やっぱり何も言えずに睨みとも似た視線を向けるだけだった。

ぼくは歩く。のんちゃんはぼくの後ろを歩く。ぼくが振り返ると、あの子はくりくりした黒目をぼくに向ける。朝起きてからブラシもかけていなさそうな長い黒髪がぼさっとしてる。袖口からは細っこく白い手首が覗いて、華奢な肩に掛けたお気に入りのポシェットがずり落ちてしまいそうだ。それでも、身なりはちゃんとしている。服はのんちゃんのお母さんが選んでいるからだ。

のんちゃんのお母さんは金髪で、のんちゃんとは似つかない鋭い目をしていたが、今思えば、雰囲気からして、夜の仕事に就いていたのではないだろうか。娘のことはどうでもいいと思って、昼飯すらしょうもない自動販売機に任せるような女性だったが、それはそれとして女の子が粗末な身なりで闊歩するのはよしとしない、とことんちぐはぐなしょうもなしの女王だった。のんちゃんの服はファッションに無頓着なあの子が適当に選んで着てもそれなりに整って見えるように揃えてあって、それだけ見ればおませな小学生のようである。実際は、のんちゃんは身支度まで無頓着なのだから、このように髪が整っていなかったりして垢抜けない印象だけれども。

休憩コーナーまで来ればあとは問題ない。のんちゃんはお気に入りのポシェットからがま口を出して、自分で自動販売機のうどんを買う。カップにだしが注がれていく様子を、受け取り口のアクリル板に貼りついて食い入るように眺め、出来上がりのランプが点灯したところでカップを手に取る。割り箸は機械の横に置いてある。この手の自動販売機は、できてすぐは思った以上に熱いから注意しなければならない。のんちゃんももちろん分かっていて、熱くないようにカップの縁を持つようにして席まで運ぶ。

のんちゃんはぼくの向かいの席に座ったところで、またしてもポシェットを探って今度は手のひらサイズの小瓶を取り出した。これはのんちゃんの「マイ七味唐辛子」である。あの子は市販の七味唐辛子、パッケージに筆文字で「七味」って書いてあるやつをいつも持ち歩いていて、このうどんにパッパと振りかけて食べるのである。ぼくの知っている限り、この歳で七味唐辛子の奥深さに気付いていた小学生はのんちゃんの他にいない。以前は学校にも持って来ていたのだけれど、女の子たちがそれを見て先生に言いつけて、先生は「他の子が持ってきてないからダメ」と散々叱った挙句、それを取り上げてしまった。それ以来持って来ていないはずだ。ぼくは職員室でしょうもない説教が繰り広げられているのを、少しだけ聞いた。扉の外で黙って立っていたら、他の先生が通りかかったのですぐに逃げ出した。

小さい口でのんちゃんがうどんをすする。ぼくはそれを黙って眺めている。あの子はときどき目を合わせるが、そのまま黙って食べ続けている。七味唐辛子の小瓶は二人の間に置かれている。ぼくは何も食べない。外で勝手な飲み食いをしようものなら、後で両親に叱られるからだ。ぼくとしてもただでさえ少ないお小遣いをつまらないうどんに使うわけにはいかない。子供にとっては自動販売機のうどんだって高級品だ。のんちゃんは昼飯代としていくらか渡されているのだろう、それでいつでも食べられるというのは、それほど羨ましくはないが、変わってるなあとは思う。

のんちゃんが「どうかしたか」って目をぼくに向ける。別に、どうということはない。のんちゃんはあまり喋らない。これでもぼくに対してはむしろおしゃべりな方で、その辺の大人や仲の悪い子には決して口を開かない。口下手だとかぶきっちょだとかじゃない、それが一番いい選択だと分かっているからだ。「口は禍の元」だとか言うが、言葉が多すぎることは時に言葉が少なすぎることより悪い場合があるのを、のんちゃんは分かっている。沈黙は、最強の処世術だ。

のんちゃんはうどんを食べ終わった。空になったカップを前にして、ぼくに、

「まだ、怒ってる?」と尋ねた。

ぼくには何のことだか分からない。ぼくは怒ってなんかいなかったし、その日のうちに不機嫌になるようなことなんて一度も無かったのだから。

のんちゃんは続けて「いつも怒ってるよ、ねえ」と言った。のんちゃんはぼくが何か腹を立てる理由があるものと思っているらしかった。

あの子の言い出すことは時折突拍子もない。だがそれは全くの支離滅裂ではない。あいだが抜け落ちているだけなのだ。例えば、晴れた空を見てぼくが「いい天気だね」とか言うとする、実際はそんなよそよそしい会話はしないのだが。するとのんちゃんは「かさ」って言う。まるで筋が通っていないように聴こえる、だがのんちゃんの中では筋が通っているのだ。きちんと紐解けばこういうことだ。「ぼくの言う通り空が晴れているな、でも天気予報では夕方から雨になると言っていたな、今は晴れていても帰りは傘が必要だろうな、でもぼくは今傘を持っていないから教えてあげたほうがいいな」と、こういう流れだ。ぼくは一緒にいるうちに、あの子の考えることが少しずつ分かるようになったが、ろくに話もせずにあの子を毛嫌いする連中には永遠に分かりっこないだろう。

今、のんちゃんが思うらくは、ぼくは「いつも怒ってる」らしい。それにもきちんとした考えの筋道があるのだろうけれども、この時のぼくには分からなかった。その日はうどんを食べ終わってから、少し辺りを歩き回って、知り合いの誰にも会わなかったのでそのまま家に戻った。のんちゃんは相変わらずの言葉少なで、最後まで「怒ってる」の意味は分からなかった。

ぼくたちの日々はこんな風に代わり映えのしない風景の連続だった。並んで歩くぼくたちの間に他の誰かが介在することは無い。お互いの両親や、クラスの男子たち、女子たち、近所の大人など、団地の中にある他のすべてのものは、いつもぼくたちを少し離れたところから取り囲んで、ときどき、やいのやいのと小さな干渉を仕掛けてくる。ぼくはそのどれもが鬱陶しく思えて仕方がなかった。ぼくはそれらに立ち向かっていけるほど強く、しゃんとした子供ではなかったから、精一杯の力でか細いバリアを張って、その中で耐え忍ぶことしかできなかった。のんちゃんの場合は、そんなものを、はじめから気にしてなどいない様子で、ぼくの後ろをよちよちついてくるのみ。あるいは、そもそも見えていなかったのかもしれない。

のんちゃんがぼくのことをどう思っていたのか、それは今になっても不透明だ。特別な信頼を置いていたようでもあり、都合のよいクラスメートと惰性で付き合い続けていただけのようでもあった。ぼくの方にしたって、はっきりとしていなかった。ぼくにとってのんちゃんは、言うなれば、ペットのようなものだった。いつも一緒にいてそれなりに格別の想いを持ってはいたが、馬鹿真面目になって気持ちを伝え合おうともしなかった。毎日世話をして、休日には散歩に連れて行ってやる、意見があれば聞いてあげる、そんな感じ。犬に例えるのはちょっと違う。犬だって、もう少し自己主張が強い生き物だろう。例えるなら、のんちゃんは、ハツカネズミだ。小さくて、ちょろちょろしてて、目が合うとくりくりした瞳をこちらに向けてくる。だけど、家を荒らすネズミとは違って人畜無害でちっぽけだ。誠に失礼極まりない話だけれど、当時のぼくがのんちゃんをそんな風な相手として接していたのは確かだ。

あの事件が、あるまでは。

その日の昼ものんちゃんはぼくを呼び出して「うどん」を要求したのだが、はっきり言ってぼくはあの子に構ってほしくなかった。その前日にぼくは、クラスの友達と口論になって、その時に、お前ものんちゃんと一緒にいるから「足りてない」んだと言われていた。言ってしまえばただそれだけで、言葉の応酬の中の一つに過ぎないものだったのだが、ぼくはその言葉がずっと胸のところに引っかかっていた。それだから、昨日の今日でのんちゃんと顔を合わせるのにいい気分がしなかったのだ。

ぼくが玄関先でうじうじしていると、のんちゃんがもう一度「うどん」とせがんだ。あの子はぼくが言い争っていた現場にいなかったから、事情を知らない。ぼくがここでのんちゃんをはね退けてやるのも不条理な話だから、結局、ぼくはやり場のない思いを抱えながらもいつもの通りにあの子の先に立って歩き始めた。

のんちゃんが目の前でうどんをすすっている間も、ぼくはいやに辺りを気にしていた。休憩コーナーのぼくたちの光景はすっかり知られたものではあるが、今日は知り合いの誰にも見られたくはなかった。一言でも声を掛けられたり、視線の一つを向けられただけで、脳みその神経が爆発してしまいそうだった。ぼくのそんな様子を、のんちゃんは不思議そうに眺めていた。

「まだ、怒ってる?」のんちゃんは尋ねる。

ぼくは「怒ってる」ってその単語で、途端に抑えが効かなくなった。

「怒ってない!」ぼくはどなった。しっちゃかめっちゃかだ。

のんちゃんは何が何だかさっぱり分からないという表情でぼくを見つめ返して座っていた。ぼくは張り詰めた糸が切れたみたいにまくし立てた。

「お前が、弱っちくて、しゃんとしてないからあんな風に言われるんだ!この、しょうもなし!」

ぼくは立ち上がってテーブルの真ん中に置いてあった七味唐辛子の小瓶を引っ掴み、のんちゃんの方に向かって投げつけた。

元より、あの子に当てるつもりは無かったのだ。下の方を狙って、テーブルを滑ってのんちゃんの側に転がっていけばそれでよかった。ところが、手元が狂ったか、あるいは無意識のうちに狙ってしまったか、投げた小瓶はテーブルの上にポツンと置いてあった、うどんのカップにきれいに収まった。だしのプールに飛び込んだ七味唐辛子は、水滴を辺りに激しく跳び散らかしてテーブルとのんちゃんの服に薄茶色の斑点模様を作った。

ぼくはすぐに自分の愚かさを痛感した。のんちゃんは何も悪くないのに。ぼく一人が、しょうもない言葉で気に病んで、理不尽にも当たり散らしてしまった。何より悔しかったのは、「のんちゃんと同じだ」と言われたことについて腹を立てている自分がいることに気付いたから。自分でしでかしたことが自分でも信じられなくて、ぼくは怯えた目でのんちゃんを見つめ返した。

はじめは驚いた目をしていた。だけど悲しんだり、泣き出したりもしないで、その後すぐに、どこか困ったような、諦めたような、落ち着いた目つきに変わった。それがやさしかった。

のんちゃんはずっとぼくを見つめたままでいた。だしに沈んだ七味唐辛子や、斑点のついたシャツには一瞥もくれなかった。そうすることでぼくの罪悪感を増幅させてしまうと分かっていたみたいだった。どこの誰がこの子を「足りてない」とか「抜けている」とか言うんだ。そういうしょうもなし共こそ、のんちゃんにはあるものが「足りてない」し「抜けている」んだ。こんなにやさしい目は、やつらには絶対にできっこない。

「ごめん……。」ぼくはやっとのことで声を絞り出した。

「のんちゃんは、だいじょうぶ。」

既に人肌ほどに冷めただしでやけどをするはずはなかったが、その言葉はそれ以上の意味を含んでいた。

ぼくはすっかりしょげてへなへなと座り込み、ひたすらに謝罪の言葉を並べた。もう怒っていないこと、のんちゃんには全く非がないこと、とにかくそれが伝わるように繰り返していた。ぼくがカップの中の小瓶を拾い上げようとすると、のんちゃんは首を横に振った。自分でやるからいいって、そういうことなのだろう。それでもぼくは制止を振り切って七味唐辛子を拾い、ズボンのポケットの部分で水気をすっかり拭き取ってからテーブルの元の位置に戻した。幸い、フタはしっかり閉まっていて中身は濡れていなかった。

しばらくして、のんちゃんはおもむろに二杯目のうどんを買いに立ち上がった。こんなことは初めてだった。ぼくが一杯目を台無しにしてしまったからかと思ったが、あれはもう食べ終わっていたのだから、あの子は純粋に二杯目がほしかったのだと思う。戻ってきたのんちゃんはそれをぼくの前ですすり上げ、やがて完食した。ぼくは始終黙り込んでそれを眺めていた。

のんちゃんが二つのカップと割り箸をゴミ箱に放り込んでしまった後でも、ぼくはいつまでもうじうじして所在なさげにしていた。それで、のんちゃんはついに一人で歩き出した。ぼくはその後をついていった。のんちゃんの小さな背中をまじまじと眺めて歩いたのは、これっきりだった。

それから先は、またいつも通りの毎日。けれど、あまり経たないうちに団地の取り壊しが決まった。

取り壊しが決まってから、団地の住人はあちこちに散っていった。市の紹介で他の公営住宅に移った人もいれば、近場で民間のアパートを見繕った人もいる。ぼくについては、父の仕事の関係で少々離れた土地に引っ越すことになった。無論、転校が決まったのだが、団地全体がごたついている中では、大したものとして扱われなかった。

のんちゃんにはぼくが引っ越すことをかねてより伝えていたのだが、あの子は特に気にしているのでもないって様子で日々を過ごしていた。以前のぼくなら、のんちゃんがこの先うまくやっていけるかと甚だ不安に思っただろうが、例の事件があって、「あの」のんちゃんならば、どうにかやっていけるだろうと得体の知れぬ安心感だけはあって、ぼくは平気だった。引っ越し前の最後の日だってぼくたちはいつものように、言葉少なで、団地を練り歩いただけだ。変わったことといえば、ぼくが七味唐辛子の詰め替え用のパックをのんちゃんにあげたこと、のんちゃんはうどんを三杯も平らげて、おろおろするぼくを尻目に四杯目を買おうと機械に手を伸ばしたので、流石にぼくが止めてやったこと。のんちゃんは明らかに無理して食べていた。

あれからずいぶん年月が過ぎた。ぼくは大人になった。あの団地を飛び出しても、結局、世の中はしょうもなしによって回っていた。これまでに嫌なことや、耐え難く悔しいことに何度も当たってきたけれども、それでもぼくは惑わされなかった。そういう時にぼくはのんちゃんを思い出した。迷宮みたいな団地の中で、ぼくが迷わないように導いてくれたあの子のことを。

のんちゃんには一度も会っていない。七味唐辛子の小瓶を見ると、懐かしくなる。もしもう一度会えたら嬉しい。きっと素敵な女性になっているだろう。やさしい人に囲まれて、幸せに暮らしていたらいい。だけど、会わなくたって寂しくはない。ぼくの後ろには、いつだってのんちゃんがいてくれるから。