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第1論 「絵草子」論

みなさまはじめまして。

このシリーズではこのサイト「雨宿拾遺物語」の管理人でありここにあるすべての作品の作者である雨宿拾遺(あまやどしゅうい)自らが提唱する「論」についてお話しします。内容は非常に多岐にわたるのでシリーズの連載記事の中ではもっともバラエティー色豊かなものになると思います。


第一論(数詞は「論」を使用します)では僕が求めるちょっと変わった作品のカタチ、「絵草子(えぞうし)」について説明と、自らのビジョンを語ります。

絵草子といえば代表作は『超越のみさき』(以下、『みさき』)ですが(ていうか今のところそれしかありませんが)、これからみなさまが本作を読み進めていく上でも、ぜひ知っておいていただきたいことです。また、同様の作品形態を志す方にとってはいくらか有益なお話もできるかもしれません。さらには僕の作品に通じるテーマみたいなものをご紹介できればなと存じます。


「絵草子」とは?

「絵草子」とは簡単に言えば「マンガと小説の融合」です。「絵草子」についてというページでもご紹介していますが、今回はもう少し突っ込んだ話をさせていただきます。

そもそも「絵草子」という単語の発祥を見てみると、話は江戸時代にさかのぼります。「御伽草子」という言葉、聞いたことはおありでしょうか。これは「おとぎ話」のことです。また、「浮世草子」という言葉もあります。「浮世絵」などと言うように、「浮世」とはいわば世間のこと。「浮世草子」は大衆向けに描かれた文学作品のことです。つまるところ、「草子(草紙)」とは「お話」という意味です。もうお分かりですね。「絵草子」は江戸時代に町人の間で出回った挿絵入りのお話(多くは作り話)のことです。

しかしながら、僕の「絵草子」はそれとは違います。何せ今は江戸時代ではなく令和の御代ですからね。僕の「絵草子」が江戸時代の「絵草子」から受け継いだのは理念です。つまりは、

「たくさんの人にワクワクドキドキしてもらえるような新しい作品」

という銘のもとに「絵草子」という単語をお借りしたのです。


それでは実際にどういうものかと言いますと、先ほど言った通りなんですが「マンガと小説の融合」です。『みさき』を例に見てみましょう。

このように、絵草子の基本は小説のような体裁で書かれたページで進行していきます。ところがどっこい話が盛り上がると、

いきなりマンガのようなイラストののページが現れるのです。これが絵草子です。

はい。基本はこれです。……そんなつまんなさそうな顔しないでください。これから絵草子って聞いただけでワクワクドキドキしちゃうようにお話ししますから。


書き始めた背景

僕が創作というものをペンを取って始めた時、それは小説でした。子供が書いたもんなんで今となっては恥ずかしくてお見せできようものではありませんが、自らのイマジネーションを外に出すということの面白さを知りました(あとタイピングも上手くなったかな)。

次いで中高生時代にマンガなるものを描き始めましたね。それまで小学生の頃に自由帳に四コマ描いたぐらいのものだったので、これが全然上手くいかない。なかなか思ったものが思ったように描けないんですね、みなさんも経験あると思います。

そんなこんなで僕が「雨宿拾遺」なる名を手にした頃、ようやっと自らの作風を完成させるに至りました。絵柄とかの話はまた別の機会にさせていただきますが、とにかく一貫性をもってものを描けるようになりました。(それでも毎度のように懊悩を抱えておりますよ)

そうしてさあ描き始めるぞ!ってなった時にあることに気付いてしまったんですね。

マンガ描くの大変。

精神的な大変さとかではなく、単純に時間的コストとしてマンガ描くのは楽じゃない。日頃週刊誌でマンガ読んだりしてると感覚マヒしちゃいますけど、週刊18ページってものすごいです。僕が「お嬢おか」毎週描けって言われたらぶっ倒れちゃいます。自分が少なくともあと4人必要です。僕が5人もいる作業場、多分ケンカが絶えないでしょうねえ。

描きたいことはどんどん湧いてくるのにこれじゃ人生がいくらあっても足りません。そうしているうちに、二人がただ座って会話してるシーンを描いてるときに思っちゃったんです。

ここ、絵で描く必要ある?

ストーリー上必要なのは間違いないけど、これ描いてるこっちが退屈だなって。そう思ったときに、じゃあ文章で書けるよなと思い立ちました。試しに文章に変えてみたら、早い早い。マンガ原稿にして2時間かかる作業が、5分で終わるんですからね。しかもいいことはそれだけじゃなかったんです。


特徴的な魅力

いいこと、それは「マンガじゃ描けなかったことが書ける」。会話の台詞を長くできる、ページ数の都合で泣く泣く省いた演出が書ける、本筋にあまり関係ないから端折った裏設定が書ける。逆に、いちいち説明してると長ったらしくなっちゃう周りの情景描写はさっき絵で描いたから必要ない(演出上特別な効果を持たない情景描写は冗長です)。これ、いいじゃん。はじめに思いました。

考えてみれば他にもいい点があるんですよ。小説特有の空気感、不思議な静寂と言いますか、どこか落ち着き払った感じ、あれを活用することができる。また、もちろんマンガのシーンでは迫力、熱意を存分に出すことができましょうし、豊かな表情でキャラクターへの愛着を生み出すことができます。

これまさに、マンガと小説のいいとこどりですよね。

寿司食いながらラーメンをすする、中華を食べながらイタリアンをつまむ、カレーをかき込みながら福神漬けをかじる……それは普通か。何が言いたいかって言うと、そういうことだったんです。

もっと言えば読者の側から見ても良い点があるんですよ。「小説を読んでるとき頭の中で映像が流れる」に共感してくださる方いらっしゃいますか。僕、あれがすっごくいいなと思ってるんです。ただ字面を見るよりよっぽど臨場感があってワクワクドキドキですよね。絵草子ならあれが誰にでもできるんです。

まず、そもそも登場人物のビジュアルが用意されてるんだから想像しやすい。その上にマンガのシーンがあるから登場人物たちが今いる舞台も用意されてる。そうでありながら、あとは字で書かれてるんだからカメラワークや細かい動作なんかは読者のイマジネーションに任される。それってとっても「自由」ですよね。マンガと小説と、どっちつかずで不便になるかとも思ったのですが、読んでみればかなり「自由」な形態であることに気付きました。

絵草子とはマンガと小説の融合による、「ワクワクドキドキの累乗」なんですね。


絵草子のポイント

僕が絵草子について本格的に研究を始めると、それなりに難点も存在することが分かりました。

一番に思いつくのは「絵と文章の比率」でしょう。主に読みやすさという観点での話です。当然のことながら、マンガと小説は読むスピードが全然違います。同じ200ページあったとして、マンガは20~40分、文庫本は2時間以上かかりますからね。したがって絵草子もマンガのページはさらっと、文章のページはじっくり読むことになります。この差が読みづらさを生む要因になるのです。例えば18ページのマンガの中に2ページだけコテコテの文章シーンを混ぜる。読者はそれをマンガとして読んでるのに、突然字がズラッと出てきてそこだけ読むスピードが遅くなったら、それはイコール読みづらさになるのです。逆も然り、長い小説を読んでいてチラッと一ページだけマンガになったところで、それは挿絵みたいに思えてしまって大して記憶に残りません。また、二つの表現方法を頻繁に行き来するとそれもテンポが悪くなる原因です。

これがなかなか難しい。こういった「読みやすいか」という問題は実際に完成品を読んでみて初めて分かることです。もっと言えば作品のジャンルとか、作風によって最適な比率は変わってきましょうから、こればかりはベストを見つけるほかないのです。連載初期の『みさき』ではとりあえず一話につき文字が1万字以上(30数ページ)、絵が10ページ程度で書いております。今後、さらに変えるかもしれません。


「読みやすさ」という観点でもう一つ、文体というものがあります。何度も言っているように絵草子は読みやすさ命ですので、文章のシーンでもそこまで読書スピードが落ちないように工夫してやる必要があります。まるでマンガを読んでいるような感覚で、それでいて文学的素養を感じられる文章がいいなと思うのです。キーワードは「テンポ」です。

読みやすくって、そりゃ平易な言葉で台詞多めにすりゃいいじゃんか、と思うでしょうか。それは違うと思います。それは「簡単な文章」であって「読みやすい文章」ではない。大切なのが「テンポ」です。みなさまも文章を読んでいていて「なーんかここ詰まっちゃうなあ」て経験ありませんか?それはその部分が「テンポ悪い」からかもしれません。区切りが分かりづらい、早口言葉みたいにややこしい、漢字ばっかりで読みづらい、原因は様々ですが、こうした表現がテンポを悪くします。漢字を使うにしたって語呂がよく最悪読めなくても意味が類推できる、みたいな感じにしておくのが理想なんです。

僕は書き上げた文章を何度も読み返します。さらっと斜め読みもしてみます。その上で文末表現のような細部に至るまでテンポを意識して修正を加えます。そうしたプロセスを経て「読みやすい」文章に努めておりますが、みなさまにとってはどうでしょうか。そうであったら幸いです。


他にも絵草子を実践研究する上であれこれ思うことはありまして、よりよいものにするために一つ一つ検討を重ねていく所存であります。


絵草子を書こう!

ここまで絵草子論を述べてきて、何が言いたいかと言うと、みんなも書こうね!ってことです。

絵草子って僕の専売特許じゃありません。過去にも同じような発想を持った方はいますし、僕が勝手に絵草子という新たな名を与えたにすぎません。つまり、誰でも書けるものだし、僕もそうしてほしいと思うのです。

ここから先は読者様にはお話しできませんが……絵草子はラクできます。さっき言ったみたいに絵で描いてて退屈なシーンを文章にできるだけじゃありません。自分の技術的に作画きついなって思ったシーンを文章にしてみなさまの想像力に委ねることができます。人間の想像力は絵描きの絵なんかよりすごいですから。逆に、文章表現しづらいなってシーンは絵で説明します。

……とまあこういったことはさておき、新たな文学作品の価値としてみなさまも創造してみてはいかがでしょうか。


技術的な話をしますと、僕がいつも原稿を書くのに使ってる書式は、

128mm×182mm(B6)断ち切り3mm 余白が上18mm、下15mm、左右13mm、とじしろ15mmです。ただしWebサイトに上げている原稿ではページごとに文字が左右に寄ると読みづらいので、とじしろを左右の余白に割り振って左右20.5mmとなっています。ヘッダーは10mm、フッターは7mmです。

ここにMS明朝10.5ptで40文字×17行入るはずです。これに合わせてマンガもB6サイズで出力します。B6マンガって言ったら、青年マンガの単行本サイズだそうです。マンガって不思議ですよね、原稿は一般的なA判B判サイズなのに、少年マンガの単行本はすこーし縦長なんです。それはさておき。


おわりに

今回はいわば雨宿拾遺の絵草子研究発表会の第一回ということで、この先新たな発見が生まれれば改めて「絵草子」論をしたためるであろうと思います。

今後とも「雨宿拾遺的『論』」、絵草子ともどもよろしくお願いいたします。